宮川公男教授の「福澤諭吉の文明論と統計(スタチスチク)論」2020/06/12 06:58

 『三田評論』6月号の特集「福澤諭吉と統計学」が、60年ほど前に私が小尾 恵一郎先生から学んだことのエッセンスのようなものだったので、小尾ゼミ OBの皆さんに、コロナの影響でOB会の中止を知らせる幹事のメールに返信 する形で、「ぜひぜひ読むように」と連絡したのだった。

 「福澤諭吉の文明論と統計(スタチスチク)論」を寄せた宮川公男一橋大学 名誉教授は、塾員でもない宮川さんが『三田評論』に執筆するのは二回目だが、 前回は同学の小尾恵一郎教授の著書『計量経済学入門』(日本評論社、昭和47 年)の書評だった、と書いている。

 旧制中学3年の時、数学で微分学の手ほどきを受けて興味を持っていたとこ ろ、小泉信三先生の『初学経済原論』(慶應出版社、昭和21年初版)に出会い、 ゴッセンの欲望飽和法則を学び、オーストリア経済学派の限界効用の概念が微 分に相当し、限界効用逓減の法則が二次微分がマイナスということで説明でき ることを知り、経済学と数学の関係に感動した。 その後、大学で理論経済学、 大学院で経済学と統計学とが融合した計量経済学を専攻した。 ハーバード大 学では投入産出分析のレオンティエフ教授のセミナーなどで、塾の俊秀若手教 授の辻村江太郎さんと一緒に学んだ。 こうして統計学が、大学での宮川公男 さんの一つの担当科目となったが、統計学が福澤諭吉と結びつくことになった のは、『学問のすゝめ』と『文明論之概略』における学問と政治の関係について の福澤の論との出会いによってであった。 

 宮川さんは、『学問のすゝめ』での生来平等な人間の間でも、貴人、富人とな るか下人、貧民となるか、そして文明の進んだ国で国を治める者、その方向(政 策)を決める者とその他の者の差異が生まれるのは学問の有無であるという福 澤の論には、政策科学という学問の重要性を強調する説得が感じられたとし、 自らの政策科学の論文や、著書『政策科学の基礎』(東洋経済新報社、平成6 年)を、この学問の日本の指導者加藤寛初代総合政策学部長に高く評価しても らったという。

 『文明論之概略』では、「スタチスチク」を「政策論から独立した、社会法則 の客観的認識の一般的方法としてとらえた」のは福澤がはじめて(丸山眞男東 大教授)であり、福澤は「文明論とは人の精神発達の議論なり」とし、文明と は「人の身を安楽にして心を高尚にする」こと、結局は「人の智徳の進歩」で あるとした。 そして国の文明を考えるとき、「国中一般に分賦せる智徳の全量」 を考えなければならず、その全量は国全体の気風をつくる人心の変化に応じて 変動するものだから、文明の進歩はその変動によって測られなければならない という。 このような人心の変動には一定の規則があるという、英国の文明史 家バックルの論を引く。 文明を論じるためには「天下の人心を一体に見做し て、久しき次元の間に広く比較して、其事跡に顕はるるものを証するの法」が 必要であり、それがスタチスチクであるというのが、福澤のスタチスチク論であ った。

 宮川さんは、人間や社会の構造や行動における定則性をとらえる方法として の統計学の意義を評価し、「統計全体の思想なき人は共に文明の事を語るに足ら ざるなり」といった福澤の思想を評価する。

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