勝者による廃仏毀釈、悪影響が語られず2022/12/19 07:09

 大森一宏さんの講演とは離れるけれど、福沢が中村道太から借金までして、伝統工芸品の米国への輸出を阻んだというエピソードで、考えておきたいと思うのは、廃仏毀釈のことである。 10月28日の「勝者北条の『吾妻鏡』、敗者比企も踏まえ『愚管抄』」にも書いた「歴史は勝者によって作られる」ということがあって、明治期の廃仏毀釈の嵐による悪影響が、あまり語られて来なかったということがあるのではないか。 はっきり言えば、徳川時代の仏教から、新政府の天皇中心の神道国家への方針転換があった。 江戸時代、キリシタン禁圧の一手段として、領民の宗旨を踏絵・寺請(てらうけ)などによって検査した「宗門改」が行われ、毎年各家・各人ごとに宗門人別帳に記載し、檀那寺に仏教宗派の帰依者であることを証明させていた。

 明治新政府は、1868(慶応4)年太政官布告「神仏分離令」(一連の通称)。 1870(明治3)年詔書大教宣布(天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を「祭政一致の国家」とする国家方針を示した)。 そうした政策の下で、神道家などを中心に各地で寺院・仏像・仏具・仏典の破壊や僧侶の還俗強制などがおきた。

 廃仏毀釈によって、仏教美術は悲惨な境遇に置かれていた。 全国に10万以上あった寺は半数が取り壊され、数え切れぬほどの文化財が失われていた。 その一部は、海外に流失した。 他方、敗者となった各大名家からも、美術工芸品が売りに出され、その一部が海外に流失することになったのである。

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