「棄(すつ)るは取るの法なり」2022/12/04 07:18

 「棄(すつ)るは取るの法なりと云ふ。/人間の心掛けは、兎角浮世を軽く視て、熱心に過ぎざるに在り。/浮世を軽く視るは心の本体なり。軽く視る其浮世を渡るに、活発なるは心の働なり。内心の底に之を軽く視るが故に、能(よ)く決断して能く活発なるを得べし。                     (『福翁百話』十三)

『福翁百話』の十にも、人生は蛆(うじ)虫に等しく、ただ一時の戯れにすぎない、というのがある。そのように人生を戯れと知りながらも、この一場の戯れを戯れとせず、本気で真面目に勤めるべきだという。本来戯れと認めるがゆえに、大事の場合に臨んで、動揺することなく、憂うることも、後悔することも、悲しむこともなく、安心して事にあたれるのだ。晩年、福澤先生は好んで「戯去戯来」という文句を揮毫した。