創刊の動機、手紙の楽しさを復活させよう2023/07/13 07:02

 用意したレジュメには、その後、こういう予定をしていた。

「等々力短信」の歴史

創刊の動機 手紙の楽しさを復活させよう

福沢流コミュニケーションの実験 福沢はsocietyを「人間(じんかん)交際」

インターネットのブログ「轟亭の小人閑居日記 馬場紘二」

  「ひとり新聞」の内容 落語、福沢、俳句

書くテーマに困らないか? 「好奇心の泉源、ヤジ馬の見本」

書き手は三流だけれど、読者は一流

一つの趣味のモデルを示すことができたか?

 「等々力短信」は、2023(令和5)年6月25日、1,168号発行で、創刊から48年、あと2年で50年になる。 現在、郵送77名、メール120名。 以前、『三田評論』のコラム「書」に「出した手紙が5万通」を書いた。 友達は、「時事新報」→ジジイ新報→「馬場新報」といってくれた。

1975(昭和50)年2月25日(33歳)「広尾短信」創刊第1号。 ハガキ版(原紙を和文タイプで打った謄写版印刷)月3回「五の日」(広尾の縁日の日)5日15日25日に発行、40部。

創刊の動機。 夏目漱石や福沢諭吉の手紙の面白さを知って、なんとか手紙の楽しさを復活できないか、こちらが出せば、少しは返事もくるだろう、と思ったのであった。 情報を一方的に受け手として読むだけでなく、素人なりに発信することも大切ではないか、とも考えていた。

当時、『知的生産の技術』の梅棹忠夫さん、『整理学』の加藤秀俊さんなど京都大学の先生(慶應よりも)の考え方に大きく影響を受け、平明達意の文章を心がけてもいた。

 以下は「広尾短信1 1975.2.25.」の後半部分。(創刊号が見たいという質問があった。)

 漱石、諭吉を引合いに出すまでもなく、昔の人は実によく手紙を書いた。 今来るのはDMばかり、ハガキでどれだけのコミュニケーションができるのか実験のつもり。

 日頃ものを考える訓練の必要を感じる。 書くことがその有力な手段で、読書見聞の記録も書きとめておけば歩留りのよいことはわかっている。 字数の制約の中で何かを正しく伝えようとすれば、簡潔な文章の練習にもなる。 ご迷惑でも、いつまで続くか楽しみに一分間のおつきあいを願います。

 福沢流コミュニケーションの実験。 福沢諭吉はsocietyを初め「人間(じんかん)交際」と訳した。 それならソーシャルディスタンスは人間距離ではないか。 「人間(じんかん)交際」、活発なコミュニケーションのある社会、独立自由な個人によって形成される成熟した近代社会、出版、演説、討論、パーティ、社交のすすめ。

 慶應義塾(若人が集い学び交わり人となる)、明六社(知識人が集い学び交わり人となる)、東京学士会院(学者が集い学び交わり人となる)、交詢社(社会人・実業人が集い学び交わり人となる)

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