日本橋高島屋屋上にいた象の一生 ― 2024/01/18 06:59
三田あるこう会で高島屋の屋上庭園に行った時、戦後ここに象がいたのを覚えている人がいた。 私は記憶になかったので、その方に、最近再開発に関連してよくニュースに出てくる渋谷の東横百貨店のケーブルカーも記憶にない、と言った。 ボーーッとしていたんだろう。
高島屋の象の話を調べてみると、こんなことだった。 戦後10年の昭和25(1950)年、タイに出張した高島屋の社員が、生後間もない象を紹介された。 屋上遊園地の目玉にならないかと、貨物船で下関へ、さらに貨車で汐留に運んだ。 店名にかけて「高子」と名付けられた象は、汐留から日本橋までパレード、大歓迎を受け、クレーンでカゴごと屋上に吊り上げられた。
屋上の遊園地で「高子」は、ラッパを吹いたり、旗を振ったり、子供を背中に乗せて歩いたりして、人気者になった。 毎日、30kg超の餌を食べる「高子」は、4年後には1.5トンにもなって、屋上が持つかどうかということになった。
引き取り先を探して、上野動物園に決まったが、降ろすのが一大事。 結局、村野藤吾の手になる例の中央階段を、一段ずつ歩いて降りることになった。 興奮して、ショーウインドウを一部壊すトラブルはあったが、ともかく上野動物園に移すことができた。
「高子」は、上野動物園を経て、多摩動物公園に移り、平成2(1990)年に飼育場の堀に落ちて、たくさんの子供たちを楽しませた、その生涯を閉じたという。 享年40歳だった。
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