咸臨丸の勝海舟と福沢諭吉、目的の違い2024/01/16 07:00

 「修身要領」は、信用のおける弟子たちが、福沢のいい言葉を選んだ。 ご飯を食べることから細かく、家庭をうまくやることを書き、2歳の子供の頭にも入った。 その原因、因縁は、咸臨丸渡米から始まっている。 もっとも、福沢の実証的発想は、子供の時に神様の祠で試した頃からあったのだけれど。

 咸臨丸には、勝海舟と福沢諭吉、二人の重要な人物が乗っていた。 勝海舟は、幕府、日本を背負っていて、日本も世界に認められる国にという意図を持つ、政治家だった。 海軍をつくり、意地で遣米使節にむりやり咸臨丸で付いて行った。 途中、小舟を出して、小笠原の父島に上陸しようとした。 小笠原は、太平洋の要衝で、列強、特にアメリカが狙っていた。 幕府のミッションで、様子を見、日本人がいた印を残そうと、嵐の中、上陸しようとして、止められた。 勝海舟は、船酔いで艦長として役に立たなかったが、国のために情報を得ようと、ナショナルな目的の行動を一つだけやろうとした。

 一方、福沢は、好奇心でアメリカに行かなきゃあと、自分のために咸臨丸に乗った。 蒸気機関などは本で知っている、本に出ていないことを身につけたい、と。 家庭生活、男と女の暮らし方、生活が大事で、肩書じゃない、幅の広さを見た。 議会では、一般の人が権利として議論をしている。 気品のある、ジェントルな、フリーダム。 品位、気品、キャラクター、天地に誓ってやましいことのない気風、格、自分の力で生きている文明の生活を見た。 人々が、男女が、対等に付き合っていることに気が付いた。 日本では、政治家が妾を囲っている、文明国じゃない。 お金の使い方も、袖の下を使ったりし、地位を持って威張る。 中国を例として、自由な学問ができない、固定していて変化ができない。 福沢は、忠孝をやめようと考えた。

 「修身要領」の普及のため、弟子たちが手弁当で地方を遊説して回った。 慶應的キャラクター、品位、気品を、地方のいろいろな所、幼稚園にまで伝えようとして、教育における成果を実感した。

 荒俣宏さんは、勝手なことをしゃべったが、慶應義塾には発言によって卒業証書をはく奪された者がいないと聞いて安心したと、講演を締めくくった。

福沢家代表挨拶、今年は福沢博之さんという方で、玄孫(やしゃご)と、福沢の子孫は合計602名、現在8代目世代までいるそうだ。 福沢の精神は、親からよりも慶應で自然に学んだ。 水球をやったが、下級生の時は、ひたすら与えられた練習をしたことが役立ち、先輩やコーチから長所を生かすこと、延ばすことを指導された。 それを自分なりに考えて、チームの力にしたのが、独立自尊の精神かと思うと話した。