一茶のわかりやすさは芭蕉を継ぐもの2005/07/24 10:18

 22日は井上ひさしさんの「俳句とはなにか」の最終日。 いよいよ、芭蕉と 一茶。 芭蕉は晩年、自分の仕事を振り返って「われ未だ三分なり」と言った。  俳諧には、まだ七分は、やるべきことが残っているというのだ。 その七分の、 かなりを蕪村がやり、そして一茶がやった。 芭蕉は「俗語平話を正す」(俗語 による文芸表現)とも言い、素材を高いところに求めて、表現は平易平淡にと説 いた。 それをやったのが一茶で、子規は明治20年代に、まったく評価され ていなかった一茶を、芭蕉を正統的に継いでいる人だと指摘し、「一茶の特色は 主として滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり……中にも滑稽は一茶の独擅に属し」 といった。 井上さんは一茶を、わかりやすい句をつくった日本最初の人、と 言う。 たとえば夏の句、

  涼風の曲がりくねつて来たりけり

  しづかさや湖水の底の雲のみね

  僧正が野糞遊ばす日傘かな

  武士町や四角四面に水を蒔(撒)く

  隙人(ひまじん)や蚊が出た出たと触れ歩く

 第二句、これはすごい、芭蕉が詠んでもおかしくないとして、冬の「猫の子 のちよつと押へる木の葉かな」とともに、井上さんが好きだという☆印。 「隙 人や」は、今の週刊誌はこれ、長嶋さんも若貴もどうでもいいじゃないか、と。

 川島つゆ別府大教授の指摘(昭和34・1959年)によると、戦争中の昭和15年 から20年の間、俳句の本や評論集に一茶が出てこない。 俳諧史上からの「一 茶抹殺」の動きがあって、半ば実行された。 一茶の私生活を、気に入らない 人は気に入らない。 遺産の問題で弟をおどし、日記に性生活を「三交」など と書いた。 大きな出版社が、一茶の句集を出すのは、戦後になってからだ。