井上ひさしさんが言いたかったこと2005/07/25 08:16

 “井上ひさし不連続講座”も、いよいよ大団円。 明治大学にこれを企画し ている生方卓さんといういい先生がいて、無料でがんばっている。 前の日に、 「申し込みましたか」とわざわざ電話をくれたのには、恐縮した。 感想アン ケートに「無料なのが申し訳ない」と書いたら、次回からプリント代、会場費 ぐらい頂くかもしれないという終わりの挨拶があった。 

 井上さんが、講談社が『蕪村全集』を出し続けていることに関連して、損を 承知で売れない本の出版を続けている出版社がある、それを読者がサポーター となって支えなけりゃあダメ、「どうぞ本を買ってください」、いい本は日本の 厚みに関係する、と語ったのが印象に残った。

井上ひさしさんは、日本が世界に誇る最高の文芸作品として「最上川の歌仙」 を挙げた(ほかは『源氏物語』、大江健三郎さん)。 芭蕉が『奥の細道』の川湊 (紅花の集散地)・大石田で、曾良や土地の金持の旦那衆、川水、一栄と巻いた もの。 句を付けるたびに、軽業のように、局面がガラリと変化する。 時間 が昼から夜になったり、夏から秋へと季節が動き、人生の明るく楽しい時が、 人生のもっとも不安なシーンに変ってしまう。 これこそが俳諧、日本人が考 え出したものの中で、最高のものと言って良い、独自な文芸。 寄り合った社 交の場でつくられ、各々が作者であり、鑑賞者でもある。

 大岡信さんの子規論はどれも素晴しい。 『正岡子規五つの入口』(岩波書店) に「いまの日本人が言語的にだめになっているとすれば、それはリズム感がな くなっているからだ。」とある。 今回の講座で、言いたかったのは、まさにそ のことで、日本の言語の中心に七五調がある、ということだった。

ひけらかすようなこと<等々力短信 第953号>2005/07/25 08:17

 NHK教育テレビに『知るを楽しむ』という番組があって、火曜日は“私の こだわり人物伝”をやっている。 6月“爆笑問題”太田光の「向田邦子 女 と男の情景」が面白かった。 それで最近、4月の山本一力さんの「池波正太 郎 人生の職人に学ぶ」を、深夜にまとめて再放送したのを見た。 山本周五 郎は読んだが、池波正太郎も、山本一力さんも、時代小説は読んだことがない。  池波随筆は多少読んでいて、そのせいか山の上ホテルのてんぷらも食べたこと がある。 池波さんが12歳で株の仲買店に奉公し世に出るまでのことや、山 本一力さんが小説を書いて借金を返している話を知っているのは、主に新聞テ レビからの雑学だろう。 ふたりは、境涯が重なるのだ。

 大正12年浅草に生れ、兜町でおとなになった池波正太郎は「私の故郷は、 誰が何といっても浅草と上野なのである」と書いた。 池波さんは、江戸と東 京を、讃えながら提示してくれる、と山本さんはいう。 「おとながいた町」、 おとなが子供にわきまえを教えてくれた町、自分の足で地べたを踏ん張って、 自分の身の丈で生きている町だ。 山本さんが11年前から住んで、小説を書 く拠点にしている深川、富岡八幡宮のあたりには、まだそうした東京・下町の 風情が残っているという。 そういえば、おとなが子供を叱らなくなったとい われる。 私自身も、そうである。 叱らないということが、おとなになって いないということなのかもしれない、などと反省する。

 山本さんは、池波正太郎に随筆から入って、いろいろのことを教わったとい う。 それは、けしてひけらかさずに、自分がわかっていること、自らの人柄 や生き様、「男の作法」を伝える。 池波は映画や絵画をこよなく愛し、おいし いものを食べることに人一倍こだわった。 行きつけの店でも、客のいない時 に、隅の方でそっと食べた。 言葉だけでは通じない「男の財布」の使い時が ある。 そこには男の粋(ダンディズム)が流れている。 「自分の身の丈をわ きまえろ。足るを知れ。」 山本さんは随筆を書きながら、うっかりひけらかす ようなことをしていないか、と思う。 そんなことをしたら、池波さんに笑わ れる。 粋の反対、ヤボは、ひけらかすことから生じる、と。

『剣客商売』秋山小兵衛が現れ「ブログなるもの、本来、ひけらかすものな り。斬るゾ!」と一閃、バッサリやられた。 一件落着、本日にてブログは終 了。 と、言っちゃあ、おしまいなので、どうせヤボよと、開き直ることにす るか。