『暮しの思想』『食の社会学』から2023/11/14 06:55

加藤秀俊さんの『暮しの思想』(中央公論社)にある、ケンブリッジのT・ピーコックさんという週給十七ポンドの貧しい暖房工事人の趣味の話を思い出した。 ダリヤつくりが趣味の彼は、市の公園の一部を借りてダリヤを育てている。 丹精の結果、それがイギリス最高のダリヤ園になった。 8月下旬、満開のころを見計らって、彼はそれを一般に公開する。 イギリス各地からダリヤの愛好者が見学に来るのだそうだ。 1967年には、見学者は千人を超えた。 その日、ピーコックさんは、貧しい貯えをはたいて、奥さんとふたり、この千人のお客さんにお茶をもてなした、というのである。

「それはかれにとっての、もっとも誇り高い瞬間だったのである」と、加藤さんは書いている。 それをタイムズが、トップ記事で報道した。 ちょうど北京でイギリス代表部焼打ち事件があった当日のことなのに…。

胡椒(こしょう)は西洋で、ギリシャ、ローマの時代から、宝石のように珍重されてきた。 肉を主食にするヨーロッパの人々が、胡椒を代表とする強い香りのスパイスの味を知って、それを手放せなくなったのは、よくわかる。 胡椒は、肉のくさみを消し、風味や旨さを引き出すからだ。 でも胡椒を手に入れるのは大変だ。 胡椒の原産地は、インドのマラバル沿岸地方、現在のケララ州のあたりだそうだ。 はるばる東洋から胡椒が西欧まで達するのは、何人ものイスラム教徒の手をへて、何回も追いはぎ同然の通行税を払ったあげくのことであった。 値段は当然高くなった。 12世紀初めのヨーロッパでは銀の目方と胡椒の目方とが、まったく等価に扱われていたそうだ。

 胡椒を主とする東洋原産の香辛料は、アラブ商人の手によってエジプトまで運ばれ、そこからヴェネツィア船隊によってヨーロッパにもたらされていた。中世後期のヴェネツィア共和国の隆盛は、この西欧における香辛料取引の独占によるものであった。 ところが、そこに問題が起こった。 オスマン・トルコの興隆が、この西欧唯一の東洋との交易路を、断ち切ってしまったのだ。 香辛料の取引は、危機に陥った。

 「安い香辛料を大量に入手できれば大金持になれる」と考えたヨーロッパの人々は、巨大な投資を行ない、危険を冒して、船で直接インドを目指す、胡椒獲得の航海へ乗り出した。 こうして15世紀以降の「大航海時代」が、はなばなしく始まる。 イベリア半島の二大強国、スペインとポルトガルが、大接戦を展開する。 加藤秀俊さんは『食の社会学』(中央公論社・1978年)で「ぶちまけていうなら「大航海時代」というのは、胡椒欲しさの一心からはじまった冒険競争なのである。 だから歴史の展開というのは、ときとして滑稽でもありまた偉大でもあるのだ」と書いている。

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