塩澤修平経済学部長にとっての小泉先生 ― 2008/05/18 08:17
15日は、福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会で、また三田へ行った。 彰義隊の戦争の日に、福沢が悠然と講義を続けていたという慶應義塾の泣かせ どころの記念日である。 塩澤修平経済学部長の「慶應ボーイ小泉信三 気品 の泉源・智徳の模範の体現者」、「小泉信三展」の開催中でもあり、演説館は近 来まれに見る大入りで、立ち見まで出た。
塩澤修平さんは昭和30(1955)年生れ、小泉信三さんが亡くなった時は、 小学生だったという。 中学生の時、小泉信三さんの岩波新書『読書論』を読 み感激、テニス部だったこともあり、岩波新書『福沢諭吉』へと進んだ。 慶 應への進学を目指し、志木高校に入学した。 その日担任が、この学校には留 年制度があるが、小泉先生が塾長時代「留年すると友達が倍になる」と語って いたと話して、また小泉信三さんに出会い印象的だった。 のちに友達の中に 留年する者も出て、その言葉の正しさを実感することになる。
大学に進む時、小泉先生の学んだ法学部政治学科か経済学部か迷ったが、小 泉先生は福田徳三先生の講義を必ず聴けるからという理由で政治学科を選んだ と知り、経済学部に入った。 一般経済史を教わった島崎隆夫教授(昭和40 年4月11日小泉先生の六大学リーグ始球式の時の野球部長)は、小泉先生の ご子息信吉(しんきち)さんと同期で、授業でよく小泉先生や信吉さんの話を 聞き、『海軍主計大尉小泉信吉』を読んだ。 そして塩澤修平さんは20歳の誕 生日の記念に何かと考え、日吉の生協書店で『小泉信三全集』を注文したのだ そうだ。
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