小泉信三さん、お人柄の形成2008/05/15 07:13

 山内慶太さんは、展覧会の構成(見所)を中心に、忘れ得ぬ人々や三田の小 泉関係史蹟にもふれた話をした。 「小泉信三展」では(一)慶應義塾の歩み とともに、(二)多面的活動…経済学・スポーツ・福沢研究など、(三)楽しめ る展示…ご自身のユーモアや遊び心から、という三つの柱を立てた。 それを 七つのブロックに分けた。 (1)父の影像―生い立ち―(2)よく学びよく遊 ぶ―塾生時代―(3)常に学生と共に在る―教授時代―(4)善を行うに勇なれ ―塾長時代―(5)勇気ある自由人―戦後―(6)愛の人―良き家族―(7)終 焉と継承。

 小泉信三さんのお人柄を考えるとき、父の影像とスポーツの精神の二つが大 きく影響している、象徴的には「愛」という言葉でまとめられる、と山内さん は言う。 幼くして父を亡くしたことは、幼年期に庇護を受けた福沢先生自身 の経験とも重なり、父を理想化し、「お護り」ともした。 テニス一筋の選手と して闘争心や負けん気をつちかって、大学部に進む二十の頃から「運動家が勉 強家に」なっていく。

 ヨーロッパ留学後の教授時代、論壇の寵児となり、「庭球王国慶應」の部長や ゼミナールの指導教授として、常に学生とともにいることが好きだった。 塾 長になるのを逡巡した時、思い起したのは、運動選手と暮した十年のことで、 数十人の運動部と一万人以上の大学校とは比較できないが、常に青年とともに いて、その一人一人の個性を尊敬し、その成長を悦び、その人々のよき先輩た ることを期する一事は同じではないか、と自分に言いきかせた、のだそうだ。