奥平氏以前の中津城 ― 2008/06/23 07:11
司馬遼太郎さんで思い出したのだが、BS2に「司馬遼太郎と城を歩く」とい う番組があって、5月5日に中津城をやっていた。 『播磨灘物語』に描かれ た奥平氏以前の中津城である。 私は中津に行ったことがない。 その番組で、 中津の地形や城のあたり、城下町らしい寺町の風景などを、はじめて見たのだ った。 中津平野を山国川が南北に流れ、その河口、周防灘に面して中津はあ る。 その川の右岸に、秀吉に天下を統一させた男、黒田官兵衛孝高(よした か・如水)が小さな天守を持つ小体(こてい)な城をつくった。 なお、豊前 国の西方は、中津の山国川を境にして、明治後、福岡県に組み入れられた。 中 津城は江戸期には天守閣がなかったのを、昭和39年に再建(?)し、最近は 奥平氏の子孫が売りに出したとかで、ニュースになっていた。
印象的だったのは、赤壁寺といわれる合元寺(ごうがんじ)だ。 地図で見 ると、福沢諭吉旧居にも近い。 天正17年4月、黒田官兵衛が秀吉から中津 を中心とした豊前国をもらった時、前領主の宇都宮鎮房(しげふさ)を中心に 国人・地侍が一斉に蜂起した。 黒田は宇都宮鎮房を謀略によって(官兵衛の 子、長政と鎮房の娘鶴を結婚させるとかいって)、中津城に呼び出し、宴会の最 中に殺してしまう。 合元寺に待たせてあった鎮房の手勢には、軍勢を差し向 け、皆殺しにした。 その血しぶきの跡が壁のあちこちに残り、事件後、何度 塗りなおしても、なお現れるので、寺ではついに赤壁にしたというのが、合元 寺の伝説である。 テレビで見ると、なるほど鮮やかな赤壁だった。
最近のコメント