ナンセンス的な面白さ2008/06/10 07:20

レトリシャン福沢の面白さは、ただ(1)単純な比喩にとどまらず、それが 自己増殖して、突っ走っていくところにある。 「アレゴリー」をたてつづけ に繰り出す文学者福沢は、日本語の富と力を自家薬籠中のものとして、人々を 説得した。 福沢の文学における地位を、過小評価してはいけない。

 (2)ナンセンス的な面白さ

 『学問のすゝめ』第十四編「心事の棚卸」では、自己増殖の突っ走りが一ペ ージ半にも及ぶ。 「貧は士の常、盡忠報国などとて、妄に百姓の米を喰ひ潰 して得意の色を為し、今日に至て事実に困る者は、舶来の小銃あるを知らずし て刀剣を仕入れ、一時の利を得て残品に後悔するが如し。和漢の古書のみを研 究して西洋日新の学を顧みず古を信じて疑はざりし者は、過ぎたる夏の景気を 忘れずして冬の差入りに蚊帷を買込むが如し。青年の書生未だ学問も熟せずし て遽に小官を求め一生の間等外に徘徊するは、半ば仕立たる衣服を質に入れて 流すが如し」(142-143頁)

 第十七編「人望論」の社交が大切だというところで、「偽君子を学で殊更に渋 き風を示すは、戸の入口に骸骨をぶら下げて門の前に棺桶を安置するが如し」 (177頁) そこまでは思いつかない、奇想天外の比喩だ。 自分自身面白が って、その面白さに引かれて書いている。