「ギャーテイ」は「行った者よ」2008/06/20 07:15

 「般若心経」は、父が毎日写経していたから、門前の小僧で、文句はだいた い知っている。 だが、意味はまったく知らなかった。 考えてみたこともな かった。

 みうらじゅんさんの『アウトドア般若心経』の最後に、宗教学者で日本密教・ チベット密教専攻、慶應義塾大学でも講師をしているという正木晃さんの訳が 付いている。 それを読んで、ヘーッ、そうだったのか、と感心した。

 まず「摩訶般若波羅蜜多」心とは、「大いなる知恵の完成」の心、なのだそう である。 初めのところの訳は、こうだ。 「深遠なる般若波羅蜜多という道 を実践していた観自在菩薩が、この世を構成している五種類の要素はすべて実 体を欠いてい」る、と説いた。 「舎利子」というのは、観自在菩薩による「シ ャーリプトラよ」という呼びかけで、「色不異空 空不異色」は、「色彩あるも のは実体を欠いているものと異ならず、実体を欠いているものは色彩あるもの と異ならない」。 そこからは、ないないづくしが続く。 結局は、何もなくて、 知恵もなければ、悟りもない。

 「以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 無罜礙故 無有恐 怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」 「悟りがないからこそ、悟りを求める者 は般若波羅蜜多という道を実践して、心を覆われることがない。心を覆われる ことがないからこそ、恐怖がなく、あやまった心を離れて、悟りの境地に到達 している。」

 「三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提」 「過去・現在・ 未来のすべてのホトケたちも、般若波羅蜜多という道を実践して、最高の正し い悟りの境地を得られたのである。」

 最後の、般若波羅蜜多の真言「ギャーテイ ギャーテイ ハーラーギャーテ イ ハラソウギャーテイ ボウジソワカー」というのは、「行った者よ。行った 者よ。悟りの世界へ行った者よ。悟りの世界へ完全に行き着いた者よ。悟りよ。 幸いあれ」という意味なのだそうである。