「枇杷の会」吟行で帝国憲法草創の地へ2014/10/29 06:30

 25日は、慶應志木高の同窓会「志木会」の俳句の会「枇杷の会」の金沢八景 吟行に参加させてもらった。 半世紀以上前に、志木に学んだご縁の有難さは、 計り知れない。 「枇杷の会」も、「志木歩こう会」同様、とてもよい会で、幹 事さんが毎回苦心の企画をして、本井英先生が熱心に指導して下さるのに、参 加者の少ないのが、まことに残念で、いつももったいないと思っている。

 午前11時に、京浜急行金沢八景駅で集合、本井英先生と幹事の深瀬一舟さ ん(5期下)始め、不在投句を含め、7人の参加だった。 徒歩3分の横浜シ ーサイドライン金沢八景駅から、つぎの野島公園駅へ行く。 秋晴れ、高架の 新交通システムからの海と街の景色は、解放的で実に素晴らしい。 駅を降り てすぐの、鯊の魚影濃い野島橋を渡ると、乙舳(おっとも)町という住宅街で、 その先の島半分が東京湾に面した野島公園だ。

 野球場の奥、海に向かって旧伊藤博文金沢別邸がある。 明治期、富岡など の金沢近辺は東京近辺の海浜別荘地として注目され、初代内閣総理大臣を務め た伊藤博文は明治31(1898)年茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘を建てた。 平 成18(2006)年11月横浜市指定有形文化財に指定され、解体・調査を経て、 平成21(2009)年10月に創建当時の姿に復元されている。 自由に見学でき るので、上って客間・帰帆の間に座ると、姿のよい松越しに、海苔篊(ひび・ 竹に洪)の先に東京湾が広がり、対岸は八景島、右手にはヨットや大型船の往 来が見える。 まことに気持の良い景色だ。

 当日朝、「等々力短信」第1064号に「「明治14年の政変」の共同研究を」を 発信してきた私は、伊藤博文別邸に強い偶然を感じた。 金沢近辺は大日本帝 国憲法草案づくりの地である。 さっそく<帝国憲法起草の間から秋の海>と いう句が浮んだけれど、この別邸は明治31(1898)年の建築だという。 明 治20(1887)年の6月4日から9月初旬まで、伊藤博文の夏島別荘(大正時 代に埋め立てられて、島ではなく、半島の一部なっている。現、横須賀市夏島 町)と金沢の料理旅館・東屋(あずまや)を舞台に、伊藤、井上毅、伊東巳代 治、金子堅太郎らが、憲法の草案をつくった。 夏島の別荘には伊藤だけが寝 起きし、伊東と金子は事務所のように使っていた東屋から通い、井上は野島館 から小舟で通ったそうだ。 以前、野島の伊藤別邸に建っていた「憲法草創の 処」(金子堅太郎)の碑は、洲崎町の洲崎交差点近くの東屋跡地付近に移設され たという。 大日本帝国憲法は、明治22(1889)年2月11日に欽定憲法とし て発布された。

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