福沢の西郷銅像建設趣意書 ― 2016/02/29 06:29
富田正文先生は、先の三節に加えて、「西郷銅像建設の運動」を書いていた。 西郷の死から6年後の明治16年8月に、鹿児島人その他の有志者が発起して 西郷の銅像を建てようという運動が起こり、福沢は発起人に頼まれて、その建 設趣意書「南洲西郷隆盛翁銅像石碑建設主意」(『福澤諭吉全集』第19巻796 頁)を書いた。
「南洲西郷隆盛翁其終を能(よく)せず、恐入りたる次第なりと雖も、明治 政府維新の大事業に於ては、其誠忠、其功労、天下に之を争ふ者ある可からず。 蓋(けだ)し翁の至誠終始其心に於て恥入なきを信ず。吾輩の最も欽慕する所 なり。今や終を能(よく)せせざるの一事を以て争ふ可からざるの誠忠功労を 抹殺せんとするの如きは、独り翁の私の為めのみならず、天下の為めに遺憾な らずや。吾輩の情に於て忍びざる所なり。」
富田先生は、福沢の西郷観として見るべきものであろう、とする。 だが、この銅像は実現しなかった。 西郷の没後まだ年月も浅く、政府部内 にもまだ西郷を賊徒視する者もあり、発起人も少し憚るところがあって、結局 流れてしまった。 その後明治31年12月に、高村光雲作の南洲銅像が上野公 園に建てられたが、この時は福沢はこれに関係しなかった。
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