川崎勝さんの土曜セミナー『馬場辰猪 日記と遺稿』2016/09/28 06:19

 9月10日、福澤諭吉協会の土曜セミナーがあって、川崎勝さん(同協会理事) の「『馬場辰猪 日記と遺稿』から見えてきたこと」を聴いた。 杉山伸也・川 崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』(慶應義塾大学出版会・2015年)については、 この日記の7月9日から7回にわたって紹介した。 9日「杉山伸也・川崎勝 編『馬場辰猪 日記と遺稿』」、10日「啓蒙、自由民権の時代から、渡米決意へ」 11日「「外からの改革」と馬場辰猪の客死」、12日「「史論」、帰納法を用いた 人民の歴史」、13日「馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」」、14日「「悔悟」の 意味するもの」、15日「馬場孤蝶の言う「訳語の不足」」である。 その後、私 が若い時に萩原延壽『馬場辰猪』(中央公論社 中公叢書・1967年、後に中公文 庫)を読んで書いたものが出て来たので、8月6日からの日記に引いた。 6 日「27歳の時書いた「馬場辰猪と福沢諭吉」」、7日「「不器用な人間」馬場辰 猪」、8日「馬場辰猪、実際政治の世界へ踏み込む」、9日「自由民権運動の挫 折と馬場辰猪の悲劇」である。 そんなことで、川崎勝さんの講演を楽しみに して出かけた。

 私が『馬場辰猪 日記と遺稿』を読みながら疑問に思ったことは、馬場辰猪が 苦境にある時、どれだけ福沢に相談したり、助言を求めたりすることがあった のだろうか、ということだった。 1896(明治29)年11月2日、谷中天王寺 で馬場辰猪八周年祭で読まれた「福澤諭吉払涙記」と結んだ「馬場辰猪君追弔 辞」に表れた福沢のこの門下生を思う気持は、馬場辰猪の生前に、どれほどの 力となったのであろうか。 川崎勝さんの講演で、その疑問が氷解したかどう かを、明日から書いてみたい。(つづく)

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