『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』2017/08/14 07:09

 4日、三田山上の図書館(新館)1階展示室で開かれている慶應義塾福澤研 究センター所蔵『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』へ行った。 福澤研究セ ンターの都倉武之准教授のギャラリートークがあると知ったからである。 都 倉准教授は、福沢諭吉、慶應義塾史、「慶應義塾と戦争」についての気鋭の研究 者で、今回も豊富な蓄積からの見事な解説に、すっかり感心してしまった。  都 倉さんについては、去年からでも次のようなことを書いていた。 (92歳、古 屋豊さんが小さな声で言った<小人閑居日記 2016.4.15.>、「慶應義塾と戦 争」アーカイブ・プロジェクト<小人閑居日記 2016.4.16.>、「戦争の時代と 大学」展の冊子から<小人閑居日記 2016.4.17.>、塾長小泉信三の評価をめ ぐって<小人閑居日記 2016.4.18.>、大学の独立と自由<等々力短信 第 1094号 2017.4.25.>)

 『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』、都倉准教授の解説はまず(1)長沼事 件の資料から始まった。 柴原和(県令)宛福沢諭吉書簡(明治7年12月25 日)。 小川武平宛福沢諭吉書簡(明治9年9月20日)。 「沼地拝借願」(福 沢諭吉筆)(明治9年3月25日)。 (長沼事件については、「長沼事件」と福 沢<小人閑居日記 2013. 5. 31.>、「長沼事件」所有権の問題<小人閑居日記  2013. 6.1.>、「三田」土地購入と福沢<小人閑居日記 2013. 6.2.>参照) 都 倉さんは、柴原和(県令)宛の手紙は、長沼村民に同情して牛場卓蔵に起草さ せた願書が県令に届いたかを確認するもの、福沢が関わっていることを伝える 福沢一流のテクニックで、けして村民蔑視ではない、と。 小川武平宛は、福 沢の名前を出した(安倍首相の名前を出すように)のは村民の心得違いだった と、県庁の役人には言葉温和に嘆願して立腹させないように、と諭している。

 (2)日露戦争で捕虜になった塾員―栗田宗次関係資料―。 メドヴェージ 収容所にいたが、第二次大戦の捕虜とは扱いがまったく違ういい生活だったよ うで、くわしい日記を残し、町にも出たり、押し花などもある。 栗田宗次の 慶應義塾在学中の作文帳、日露戦争捕虜日記などから、都倉さんは、物を書く、 作文をする慶應義塾の伝統、筆まめな福沢の達意平明の文章の伝統に触れた。  慶應志木高校新聞部出身で、毎日ブログを綴っている私は、思わずニヤリとし たのだった。

 (3)「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトの新収資料。 戦時下の 塾生の写真アルバム・昭和16-18年(阿加井延雄、昭和18年陸軍入隊・昭和 21年卒)。 昭和18年(だったと思う)に友達とスキーに行っている写真があ る。 学徒出陣壮行会の映像で見るような、一辺倒に暗い時代ではなかった。  軍隊入隊前の寄書帳・昭和19年(松澤喜三郎旧蔵、昭和19年陸軍入隊・昭和 23年卒)。 体育会系の学生、イラストなど交え、明るく軽い調子。 都倉さ んは、本人以外わからないからと、捨てられてしまう日記やアルバムなどに、 貴重な資料があるという。 慶應義塾福澤研究センターでは、こうした資料の 提供を呼びかけている。