『生きるとか死ぬとか父親とか』の原稿料は?2017/08/18 07:08

 ジェーン・スーさんが『生きるとか死ぬとか父親とか』で父親のことを書く ことになったのには、こういう事情があった。 小石川にあった実家を手放し 要町に移って五年、父が引越しをすると言い出して、娘の仕事先に相談に来た。  資料を見ると、23区内だが池袋から電車で30分の団地の2LDK、60平米を優 に超えていた。 家賃を聞くと、彼が毎月もらっている少額の年金より一万円 ほど多かったので、娘は爆笑してしまった。 いつもは自分を呼び出す父が、 なぜわざわざ足を運んできたのかが、これでわかった。 とぼけ顔の父は、さ らに続けて、収入がない賃貸希望者は一年分の家賃を前納する必要があり、す でに物件の仮申し込みをしてきたので、早めに入金しないといけない、担当の 女の人が良くしてくれて、先客がいたのを、こっそり自分に回してくれたのだ と言う。 彼女は「いいよ」と返事をした。 なにしろ父のプレゼンが面白か ったし、ある算段があった。 「いいけど、君のことを書くよ」と娘は言い、 今度は父が「いいよ」と言って、連載が始まることになった。

 ジェーン・スーさんの父の商売は、貴金属の卸と小売りだった。 彼女が中 学生の頃、実家は一階と二階が会社で、三階と四階が自宅だった。 百貨店に も店を出していた。 仕事熱心で、大晦日に自宅の方にまで顔を出して、報告 をしていた社員を、見かけなくなった。 父に聞くと、「ああ、在庫を盗んで逃 げたよ」と、こともなげに言った。 その男、在庫のほかに、取引先の名簿も 盗んだ。 その名簿は後で、店の信用を貶める怪文書の発送に使われた。

 精神的番頭とも言える母親が亡くなった後、家の経済状況はゆるやかに悪化 していった。 いくつか手を出した貴金属以外の商売が赤字続きになったのも 大きいが、最後の一撃になったのは株取引だったことに間違いはないという。  通常の売買では飽き足らず、ベンチャー企業の未公開株とやらをじゃんじゃん 買い漁った。 しかし、どの企業も終ぞ上場することはなかった。 銀行への 借金も優に億を超えていたようで、なぜもっと手前で退けなかったかと父をな じると、大袈裟に声を作って言った。 「お金ってねえ、目に見えてなくなっ ていくわけじゃないのよ。少しずつ少しずつ減っていって、気付いたら手が打 てないところまで行ってるの」

 父が派手に株へのめり込んでいった時にも、父の傍らには特定の女たちがい た。 家族ではないから、株取引を止めるどころか、父にそそのかされ結構な 額を株に投資したようだ。 彼女たちも、父に出会わなければ独り身のまま老 後を迎えることはなかったろう。 なのに、一銭もなくなった今でもまだ父の そばにいる。 父にお金があった時には、それなりに良い思いもしたはずだが、 父の様子を見ると今ではそれ以上の額を父に使っているようだ。 父が成功し た唯一の投資は「女」だ。 先行投資した分が見事に利息を生んでいるではな いか。 この嗅覚を株取引に活かせなかったのが残念で仕方がない、と娘は書 く。

 そもそも、母のサポートで父の商売は軌道に乗った。 その結果、ひとり娘 のジェーン・スーさんは十分にお金をかけて育ててもらった。 それには感謝 している。 やがて父はスッカラカンになり、私生活を晒す代償として、『生き るとか死ぬとか父親とか』の原稿料をまるまる娘から受け取っている。