外人にもわかる明治維新〔昔、書いた福沢41〕2019/03/22 07:05

 昨日出てきた、「外人にもわかる明治維新」(等々力短信349号・昭和60年3 月5日)を〔昔、書いた福沢41〕として、出すことにした。

 外人にもわかる明治維新<等々力短信 第349号 1985.(昭和60).3.5.>

 桑原武夫さんの『明治維新と近代化―現代日本を産みだしたもの』(小学館) という本、この先生らしく、ざっくばらんで、常識とも合うところが、まこと に気持よい。 60年安保が終ったころから、世界の各国で、日本の復活力や科 学技術の進歩にたいする危機感あるいは正確な認識が高まってきて、あいつい で日本に学術視察団がやってきた。 学術会議の副会長だった桑原さんは、そ の世話をずいぶんさせられた。 日本の学者が、外国から来た人と対談するの を聞いていて、たいへんつらい感じがした。 日本の社会科学者は学識が深く て、学説史的な質問には明確な答を出すのだが、目の前の日本の問題になると、 ほとんど答えられない。 たとえば、明治維新についても、日本のアカデミー 史学の通念どおり「絶対封建的幕藩制から、絶対主義天皇制への改革であって 革命ではない」などというものだから、日本の近代化成功のポイントを聞きた いと思っている外国の学者には、ぜんぜんわからない。 これから革命を起こ そうというマルクス主義の理論に、こり固まっていると、明治維新で革命が終 っているというのでは、ぐあいが悪いのだ。

 世界で通用し、これから近代化する国の参考にもと、桑原さんは、こう明治 維新を定義する。 「世界からの接近(アプローチ)を謝絶し、鎖国して独立 を守ってきた日本民族は、およそ250年の平和のうちに高度の国民文化を形成、 普及せしめたが、19世紀半ばに国際的力関係から開国の避けられぬことをさと り、自主的に大胆に西洋文明をとり入れて、近代国家をつくるために一つの文 化革命を行った。これが明治維新である。」

 『福翁自伝』や福沢研究の書物、石井孝、芳賀徹、吉田茂、ライシャワーと いった諸氏の本、司馬遼太郎や子母沢寛の手になる坂本龍馬や勝海舟によって、 幕末明治の像を作ってきた者にとって、胸のすくような明治維新の定義である。

 これは蛇足、大碩学のエラーを見つける光栄に浴した。 桑原さんも、「福沢 が「脱亜入欧」という悪名高いスローガンを掲げた」(207頁)と言っているの だ。 短信343号(複眼で見る〔昔、書いた福沢21〕<小人閑居日記 2015.3.7. >)で、丸山真男さんの指摘を紹介したように、福沢諭吉は「脱亜」を時事新 報の社説の題目に一度使っただけだし、「入欧」という言葉はつかっていない。   福沢と、「脱亜入欧」のスローガンとを結びつけた誤解は、いったい誰に始まっ たのだろう。 唱えもしないスローガンを、毎度唱えさせられている福沢の顏 は悲しげで、一万円札をしぶしぶ払う時、なぜか、こちらまで悲しくなってく る。

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