機密探偵報告書/福沢派の動静[昔、書いた福沢210] ― 2020/02/10 07:04
機密探偵報告書/福沢派の動静<小人閑居日記 2005.1.13.>
『福澤諭吉年鑑31 2004』に研究資料として、寺崎修福澤研究センター副 所長と都倉武之武蔵野学院大学助手の連名で、「史料 機密探偵報告書/福沢派 の動静ほか―明治十四年政変前後、明治二十年保安条例前後―」が載っている。 前書きによると、政府の密偵の探索対象となったのは、主として政党、結社、 新聞社、私立学校などで、福沢諭吉は、明治政府にとってもっとも危険な人物 の一人で、誰よりも監視を必要とする民間のキーマンであった、という。 探 偵報告書をみれば、福沢本人ならびに周辺の人々、交詢社、時事新報社、慶應 義塾がいかに密偵に注視されていたかがわかる。
23通の資料の内、大半を占める20通は「三島通庸関係文書」。 三島通庸が 警視総監だったのは知っていたが、在任期間は明治18年12月から明治21年 10月であった。 こうした探偵書の類は焼却処分するのが通例で、本来、残存 することがきわめて稀なのであるが、三島が警視総監在任中に没したため、未 整理のまま大量に残ったのではないか、という。
「福沢門人各県派出国会演説大意」「福沢派の情況」「福沢諭吉の談話」「時事 新報社内の状況」「交詢社大会ノ件」「金虎館(高知県人経営で高知県人が多く止 宿していた旅館)景状」「井上角五郎ニ関スル探聞書」「慶應義塾生徒退塾ノ件」 「時事新報記事ノ出所」など、表題を挙げただけでも、いかに細かく探策して いたかがわかって恐ろしい。 現在の「公安調査」も、こんなことをやってい るのだろうか。
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