「りっぱな犬」・「身の回りをよく見よ」 ― 2020/12/20 07:36
小谷直道君の遺稿の中から、コラム「編集手帳」の二編を引いておく。
「わが家の犬は飼い主に似て無芸大食。テレビには芸達者な犬が登場するが、あそこまで出来なくても、せめて「お手」ぐらいしたらいいのにと思う。
そこで北山葉子さんの絵本「りっぱな犬になる方法」(理論社)を読む。りっぱな犬に「する」のでなく、りっぱな犬に「なる」としたところがミソだ。つまり犬の立場で書かれている。
「人は普通、犬の手のことをまえあしというが、りっぱな犬には『おて』という。……『おて』といわれたら、むねをはって、れいぎ正しくあいての手の上にじぶんの手をおこう」。
実用書をパロディー化したユーモラスな文が続く。「犬にむだぼえなどない。わかってもらえるまでいいつづけること」「こころがひろいと、つきあいもひろくなり、こころがせまいと、つきあいもせまくなる」。
りっぱな犬になれないのは飼い主のせいらしい。でも犬がそばで安心しきって寝息をたてているのを聞くと、心が安らぐ。社会が高齢化したせいか犬を友とする人が増えてきた。
ニューズウィーク誌によれば、米国でも「知られざる犬の生活」という本がベストセラーになっている。著者のE・トーマスさんは、犬も死後は天国へ行くという。「だって犬がいなければ、それは天国とは呼べないでしょう」。 (1993(平成5)年11月7日)」
「久びさにしっとりした米国映画「スモーク」をみる。ウェイン・ワン監督は、ニューヨークの下町のたばこ屋を舞台に、そこに集まる人たちの人間模様を温かく描く。
昔、恋人に裏切られ、今も独身のたばこ屋のあるじオーギーは、一風変わった趣味を持っている。毎朝、同じ時刻に同じ場所から、同じ街角の写真を撮る。十数年の間に撮り続けた写真は四千枚を超す。
たばこ屋の客であるポールは、妊娠中の妻が強盗事件に巻き込まれて死んでから筆が進まない。オーギーの友情で写真を見せてもらうが、余り興味がわかない。
オーギーは「ゆっくり見なきゃ分からん」と言う。同じような写真もよく見れば、季節も変化しており、雨や風の日もある。それに登場する人物も違う。ポールは写真の中に妻の姿を見つけ思わず涙ぐむ……。
山の姿を毎日観察する人、公園の樹木の変化を記録する人もいる。あちこち動き回るより、一か所に腰を据えた方が全体がわかることもある。「身の回りをよく見よ」と映画は教える。
なぜたばこ屋の主人が定点観測を始めたのか。ラストは彼のせりふだけで盛り上げる。作家ポール・オースターがクリスマスの新聞に書いた短編を映画化した。歳末が近づくと、ほのぼのとした話が聞きたくなる。 (1995(平成7)年11月12日)」
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