天皇の政治的利用に厳しい警告2021/01/23 06:50

 北岡伸一さんは、天皇の問題にもっとも鋭い考察をしていたのは、再び福沢諭吉である、という。 福沢は福地源一郎(桜痴)が明治15(1882)年に立憲帝政党を作ったとき、これを厳しく批判した。 政党の名称とは、その目的を示すのみならず、自他を区別するものでなければならない、ところが、日本人はすべて天皇を支持しているのに、そこで帝政を名乗るのは何事か。 これは加賀前田藩で前田家を名乗り、他を非前田党と呼ぶようなものである。 このように言って、福沢は天皇の利用を戒めた。

 福沢はまた、国体と政体と血統を区別すべきだと唱えている。 福沢は国体という言葉に独特の意味を与えており、日本人が日本を統治していることが、国体が維持されているということだと定義した。 たとえば、日本は天皇が支配しても、貴族が支配していても、武士が支配しても、日本人が日本を支配しているので、国体は万全である。 他方で、インドにおいて、ムガール帝国はなお続いているが、イギリスの支配下に入っているから、国体は維持されていない、とする。

 これはかなり独特の定義であり、昭和期には間違いなく「危険思想」であったが、この定義によって、福沢は日本の政治体制を相対化することができた。

 言い換えれば、福沢は皇室が国民を統合する力を強く持っていることを理解しており日本の重要なアセットだと考えていた。 それゆえに、天皇の政治的利用には厳しい警告をしていたのである(『帝室論』)。

 以上、19日から5日間、北岡伸一さんの『明治維新の意味』(新潮選書)で福沢諭吉についての言及の大事な所をみてきた。 なお、明治14年の政変と、朝鮮問題については、当然北岡さんも書いているが、今までこの日記でいろいろと触れてきたので、扱わなかった。