小三治の「子別れ」上・中・下 ― 2021/03/20 06:11
「柳家小三治の落語、まくら、拙稿一覧」を出して、「等々力短信」の分はブログでは読んでいただけないとわかったので、第332号「野菜・果物、昔の味」以外のものも、順にアップさせていただくことにした。
「子別れ」上・中・下 <等々力短信 第609号 1992.8.5.>
7月24日は、土用の丑の日だった。 柳家小三治は、国立小劇場の落語研 究会で、4月の「上」「中」につづいて、『子別れ』の「下」を演じた。『子 別れ』は『子は鎹(かすがい)』として知られている。 よく高座にかけられ る「下」では、放蕩から目が覚めて今は真面目になった大工の父親に、息子の 亀ちゃんが偶然三年ぶりの再会をする。 再婚もせず針仕事をしての三畳一間 の母子の暮し、額の傷は仕事を出してくれる斎藤さんの坊っちゃんにつけられ たのだから、黙って我慢しろと言われたと聞いて、父親は男泣きする。 亀ち ゃんは、小遣にもらった五十銭を、母親にとがめられ、頭を打(ぶ)たれそう になる。 翌日、馳走を約束したうなぎ屋に母親も来て、もとの鞘に納まる。 母親が「この子のいたお蔭、本当に「子は夫婦の鎹ですねえ」」といえば、亀 ちゃんが「あたいは鎹かい、道理で昨日おっかさんが、玄翁で打つと言った」
小三治の子別れに泣く土用丑 轟亭
それで「上」「中」は、どんな噺だったか。 出入りのお店の大隠居の葬式 が、山谷の寺で、ある。 高齢で亡くなり、お目出たい仏様だというので、お 煮染めつきの強飯(こわめし)が出る。 酔っぱらって「葬式は山谷と聞いて 親父行き」という川柳どおりに、葬式帰りは紙屑屋を道連れに、近くの吉原に 繰り込む。 何かにつけ「なあ紙屑屋」「なあ紙屑屋」といわれて、紙屑屋が くさり「せめて、紙屋ぐらいいってくれ」といえば、「なあ紙屋の旦那、クズ の方の…」。 余分に沢山もらって来た強飯の包みを、廓の若い衆やおばさん に、景気よくくばる。 懐や背中に幾つも隠してきた煮染めの汁が、フンドシ に染みていて「絞ってやろうか」というところまでが、「上」。
格下の品川から住み替えしてきた「少数昇進派」(榎本滋民氏)の馴染の女 郎に出会って三日も居続け、帰って女房にのろけて愛想をつかされ、行きがか りで離縁となる。 ひっぱりこんだ女郎が、「手に取るな矢張り野に置け蓮華 草」、とんでもない大悪妻で、三月と保たなかった、というのが、つなぎの 「中」、あまり演じられることがない。
「上」別名『強飯の女郎買い』の、どんちゃん騒ぎが強烈なほど、「下」の しんみりとした人情噺が生きて来る。 コントラストの妙というのか、実によ く出来た噺である。 小三治は、三か月の間(ま)を感じさせず、この大ネタ を見事に演じきった。
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