自由民権運動と国会・憲法問題2022/06/02 07:04

 大日方純夫教授の「「明治十四年の政変」をめぐる大隈重信と福澤諭吉」、「政変」の前提過程として、自由民権運動と国会・憲法問題を検討する。

(1)政府首脳部の構成と大隈の位置。
 [1881(明治14)年1月時点の大臣・参議] 太政大臣・三条実美。 左大臣・有栖川熾仁。 右大臣・岩倉具視。 参議・大隈重信(筆頭)、大木喬任/肥前2、伊藤博文、山県有朋、井上馨、山田顕義/長州4、寺島宗則、黒田清隆、西郷従道、川村純義/薩摩4。

(2)自由民権運動の展開。
 国会期成同盟の結成(1880(明治13)年3月)と国会開設請願書の提出(受取り拒否され、挫折)。 国会期成同盟第2回大会(1880(明治13)年11月)―2府22県(約13万人)の代表64人。 次回会議を1881(明治14)年10月12日に東京で予定していたが、政変の時期に重なってしまった。 戸数過半数の同意を獲得して参加すること、憲法見込案を持参すること(→憲法起草運動)。
政党結成運動の展開。
「自由党準備会」の結成(1880(明治13)年12月)と「地方の団結」(→「自由党」結成運動)。
憲法起草運動の推進。

(3)政府側の憲法問題
 元老院の国憲起草。
  1次案(1877(明治10)年10月)・2次案(78年7月)・3次案(80年7月)→80(明治13)年12月提出(不採択)。
 諸参議の憲法意見。
  1879(明治12)年12月山県-80年2月黒田-80年6月山田-80年7月井上-80年12月伊藤。 伊藤博文の意見書提出(起草者は井上毅)、伊藤の構想は「天皇の詔勅(「漸進の義」)による民心の鎮定。 81年3月大隈-81年5月大木。

コメント

_ 植地勢作 ― 2022/06/02 13:26

ご著書、さっそくお送り
くださりありがとうございました。じっくり
読ませていただきます。
明治14年の政変はよくしりたかったところです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック