月刊の物語絵本、『こどものとも』の創刊2023/03/30 07:06

 『母の友』を創刊して二年ほど経った時、なんと他社の絵雑誌が付録に『母の友』と似たような小冊子をつけ始めた。 こんなちっぽけな出版社の真似をするのかと、本当に腹が立ったけれど、そっちがそうなら、こっちは『母の友』の付録に絵本をつけようかという冗談半分本気半分のアイデアが、『こどものとも』創刊のきっかけになった。

 しかし一番直接の刺激になったのは、「岩波の子どもの本」だった。 昭和28(1953)年12月に初めて本屋さんで見てびっくりした。 絵本ってこんなものだったのか、と。 絵本の物語から、うれしいとか悲しいとか怖いとか、いろんな気持ちが動く。 教えることよりも、感じることが大切で、物語から想像力が広がっていくことがなければ子どもの心に残らない。 物語絵本だったから、本当に気持ちに訴えてくる。 扱っているテーマにも驚いた、『はなのすきなうし』は、スペインを舞台にした平和が好きな牛の話でテーマは反戦平和、『ちいさなおうち』は、アメリカが建国以来理想としてきた田園で生活する田園主義、家が中心のまったく平和な農村の暮らしだった。

 月刊の物語絵本というのは当時まだなかった。 『こどものとも』創刊号『ビップとちょうちょう』の物語をお願いしたのは北原白秋の高弟で、白秋のことばの世界を受けついでいる與田準一さん、パントマイムのマルセル・マルソーの「蝶」という舞台を見て感動したので、あれを物語にしたい、と。 絵は、その舞台をたまたま松居さんと一緒に観に行っていた日本画家の堀文子さんが、與田さんの平和をテーマにした物語を読み、喜んで描いてくれた。 堀さんのお連れ合いは、箕輪三郎さんという外交官で、エラスムスの『平和の訴え』を訳した方、堀さんは「これから平和な世界、本当に豊かな世界を作っていくのは子どもだから、子どものために仕事ができることは、非常にうれしい、だから全力をあげてやります」と、八見開きの絵本に、八枚も連続の絵を描いてくれた。

 でも、この創刊号は売れなかった。 表紙が黒だったので、本屋さんに「こんな暗い本は売れない」と言われたけれど、堀さんの黒い表紙を、松居さんはこれでいい、美しいと思った、と言う。 そのようにして、『こどものとも』は始まった。

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