『クニオ・バンプルーセン』に出てくる作家と作品2023/12/03 07:35

クニオは飯田橋の泉社という小出版社に入り、社長の与田とこんな会話をする。 「山本周五郎と中里恒子を同類の作家とみることはできない、独自の作品世界に芸術的良心を持ち込み、読者に媚びないという点では一致するのに、書くものが違うからだろう」という与田に、「それもこれも文学でいいでしょう」「私は文学に関してはニュートラルな立場でいたいと思います」というと、「実は私もそうだ」と社長が返した。

月例会議でクニオは、「山田風太郎さんの発言やエッセイを集約してみてはどうでしょう、名言のゴミ箱のようになっています」と提案するが、大物すぎて実現の可能性は低かった。 その年の秋、石坂洋次郎が逝き、追いかけるように円地文子が旅立つと、彼はいつになく息苦しい渇きを覚えて〝女坂〟を読みはじめた。 (1986(昭和61)年のことだ。)

母の真知子は、石川達三、三浦哲郎、水上勉、吉行淳之介、半村良をいいとすすめ、読んだの、と聞く。 クニオは、半村良の〝雨やどり〟はおもしろかった、ああいうものは日本人にしか書けない気がした、という。 「日本の女流はへたな男より剛力よ」と、芝木好子の短編をすすめる。 芝木は病身でヨーロッパ旅行をして、〝ルーアンの木蔭〟〝ヒースの丘〟を一度きりの生を全うしようとする人間の最後の力で書き上げる。 その、たやすくはできない美しい終わり方を思うと、クニオは震えた。 芝木好子の終焉(1991(平成3)年)と前後して昭和に別れを告げた日本はバブル経済が崩壊し、なにか豊かな流れが途切れたときの淋しさが漂うようであった。 日本がまたひとり美しい生を知る作家を失った。

後年、日本文学の精華を求めて名作の再読をはじめたクニオは、あるときその特質を客観的にとらえるために〝ジ・イズ・ダンサー〟を読んだ。 これはもう手のつけようのない別物だと思った。 自在に語順を変えられる日本語の原文と、文章の組み立てに限界のある英語の訳文を比べてみると、冒頭の部分からして柔軟性の差が瞭然としていたからである。 貧しい旅芸人の踊子とダンサー、雨脚とシャワーの違いを早く言うなら、こまやかな情景描写から入る日本文は「道がつづら折りになって」ではじまり、英文は原則通り主語の「にわか雨」ではじまる。

「例えば芝木の短編を作者不詳としてフランス語で仕立て直したら、彼らは傑作とみるだろう。」や、「井伏の〝山椒魚〟はどうだろう、あのラストの心境を外国人が美しいものとして受け入れるだろうか」などというところもある。

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