小説「少女」、誘拐から少女との逃避行2024/01/04 08:11

 川本三郎さんの『波』連載「荷風の昭和」で知った、昭和21年の住友財閥令嬢誘拐事件を題材に野口冨士男さんが書いた小説「少女」を読んだ。 講談社文芸文庫『野口冨士男短篇集 なぎの葉考 少女』(2009年)、中公文庫『風のない日々/少女』(2021年)所収。

 「左腕が、ジーンとしびれている。/ほとんどもう、耐え難いと言っていい痛さである。」と、始まる。 小倉恭介は、上野駅午後十時発の直江津行普通列車に乗って二時間ちかくしか経っていないが、発車してからまだ十分とたたぬうちに「ゆたか」は指が長くていたいたしいほどほそい両手で恭介の左腕へすがりつくようにしながら、幅のせまいふちがある薄鼠色の学童帽をかぶったままのオカッパ頭をよせかけて眠り込んでしまった。 一昨日からあっちこっち引きまわされてるんだから、無理もない。 野口冨士男さんは、鉄道趣味があったのだろうか、「歴史のダイヤグラム」の原武史さんが喜びそうな小説だ。 乗車券は、松本まで買ってある。 そのためには、明日の未明というより深夜に篠ノ井で乗り換えねばならない。

 今朝がた、千葉駅で買った新聞には、「娘の恐怖時代 誘拐しきり 学校帰りを誘ふ 杉富氏の長女謎の行方」の見出しで、「ゆたか」の和服の晴着姿の写真も掲載されていた。 横浜市戸塚区の杉富家当主茂兵衛氏の長女ゆたかが、17日午前11時半ごろ片瀬町の芙蓉学園から帰宅途中、「警察の者ですが、お宅に重大事件が起こりましたからいっしょに来てください」と言った男に連れ去られ、18日の午後になっても帰宅せぬために、警察と杉富財閥の全機関をあげて捜査中である。 同家には脅迫状は送られていないので、目下のところ犯行の目的その他はいっさい不明だとしている。

 恭介が、校門から一丁ほどのところで声をかけ、二人で歩きはじめながら、あなたを保護してあげるから心配しなくてもいいと言うと、ゆたかはその言葉をそのまま信じたとも思われないのに、ぴったりと彼の脇に寄り添って、どこまででもついてきた。 その疑うことを知らぬ無垢な態度は、むしろ薄気味が悪いほどだった。 江ノ電で鎌倉に出て、海兵団で半年ほどすごした横須賀まで行くと俄に考えをあらためて、東京へ引き返した上、秋葉原から総武線で津田沼へ行き、一泊した。 神奈川県下で発生した事件の捜査が、千葉県まで及ぶことはあるまいと考えたからだった。

 翌日は千葉市に行き、時間潰しに映画館に入って、アメリカの喜劇映画を観た。 ゆたかはよほど興味をひかれたらしく、スクリーンに見入っていた。 繁華街でみつけた百貨店に入って、ふと眼についた化粧袋というものを買い与えた。 中年の女店員にたずねると、バニシングクリームから白粉、口紅、頬紅のほか鏡と櫛までセットになっていて、大人の真似をしたがる歳ごろの娘にと言って土産に買って帰る親が多いとのことだった。

 二日目は稲毛の宿に泊った、千葉や市川のような都市を避けたのも、逃亡者心理からである。 まだ日が暮れぬうちに入浴をすますと、ゆたかは恭介の許可が出るのを待ちかねたように化粧袋の封を切って、粗末な鏡台の前で見よう見真似の化粧をはじめた。 恭介がギクリとするほどゆたかの顔は変った。 美しさが、いちだんと輝きを増したことは事実であったが、それは美少女というより、どこか大人っぽい美女の顔であった。 恭介は、洗面所にともなって行き、急いで化粧を落とさせた。

 「お兄ちゃんは、お化粧なんかしていないたか子のほうが好きだ。お化粧なんかしなくても、たか子はほんとに可愛い」

 言っているうちに、恭介の眼には涙があふれて来て頬をつたった。 ゆたかはなかば茫然としながら彼の顔を見ていたが、彼女なりに恭介の気持を理解したのか、化粧袋の紐をしめて彼に渡そうとした。

 たか子とは、ゆたかという三字名の、たかを残して子をつけた偽名で、本名を呼びかけたばあい、いつどこで誰に聞かれるかもしれないという用心に、恭介が考えたものだった。

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