みんな死んでゆく三谷幸喜脚本2022/10/27 07:09

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』については、『鎌倉殿の13人』拙稿一覧<小人閑居日記 2022.6.22.>と、曽我兄弟の仇討ち、実は頼朝暗殺未遂事件<小人閑居日記 2022.6.23.>以来、昨日まで何も書いていなかった。 一つには「頼朝ロス」、大泉洋の源頼朝が死んでから、面白くなくなったと感じたことがあった。 『鎌倉殿の13人』の拙稿は『鎌倉殿の13人』平相国、木簡、佐殿、武衛<小人閑居日記 2022.3.9.>で始めた。 「武衛」(兵衛府)は、上総広常が頼朝をそう呼んだのだった。 第39回「穏やかな一日」にも出てきたが、和田義盛は、実朝を羽林(うりん・近衛府)と呼ぶ。

三谷幸喜の脚本は、登場人物がつぎつぎに死んだり、殺されたりしてゆく。 特に善児(梶原善)という架空の人物を作り出し、随所で殺し屋として働かせる。 その善児が修善寺で源範頼を殺した時、そこにいた百姓夫婦も手にかけたが、殺せなかった女の子を育て、そのトウ(山本千尋)も刺客になったのだった。 善児は、もと伊東祐親の下人で、梶原景時に使われ、景時が失脚するとき譲られて、北条義時に使われるようになる。 善児は、頼朝と八重(新垣結衣)の子・千鶴丸を溺死させ、北条宗時(片岡愛之助)、八重の夫・江間次郎、旧主伊東祐親・祐清父子を殺害、静御前の男子を由比ヶ浜に沈める。 みんな死んでいくわけだが、三谷脚本だけが陰惨で暗くやりきれないというわけではない。 考えてみれば、大河ドラマの登場人物は、鎌倉時代はもとより、戦国時代も幕末も、みんな死んでしまったのだ。 諸行無常の響きあり。

 1199年1月に、頼朝が死んだ前後の、後継にかかわる史実を振り返っておく。

 長男、源頼家(幼名万寿)1182年生まれ 政子、比企能員の邸で産む。 比企尼は頼朝の乳母。 頼家の乳母は比企能員の次女。 梶原景時の妻も、頼家の乳母。

 1193年 跡継ぎの万寿のお披露目を兼ね、富士の巻き狩り 曾我事件。

 次男、実朝(幼名千幡) 1192年生まれ 北条時政の娘、政子の妹、阿波局(ドラマでは実衣)を乳母に。 頼朝、比企と北条のバランスを取る戦略。

 頼家は、若狭局(ドラマではせつ)という比企能員の娘を側室に迎え、1198年一幡が生れる。 1200年正室辻殿(ドラマではつつじ)に公暁(幼名善哉)が生れる。

 全成 義朝の七男 醍醐寺で修業 北条時政の娘、政子の妹、阿波局を妻に。 鎌倉幕府成立後、駿河国駿東郡阿野(現、沼津市)に所領を得、還俗して阿野氏を称した。 北条時政と結んで2代将軍頼家と対立し、4年後の建仁3(1203)年には謀反の容疑で捕えられ、常陸国に配流となる。 そして、頼家の命を受けた八田知家によって謀殺される。

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