山田洋次さんの用意した○○○○エンド2022/10/20 07:02

 翌朝、民子は耕作も気づいた牧場の柵の破れを二人で直す。 「耕作さん、昨夜は失礼しました。ついきつい言い方をしてしまって」「いや、そんなこと思ってません」「私が言いたかったのは、つまり…、つまり…、ずっとあなたを思っていたってことなの」(と、その場を去ろうとする)

 (耕作は、追いかけて)「奥さん!」「何?」「お願いがあります」「どんなこと?」「この牧場で、この奥さんの牧場で、ひと一人雇ってくれませんか」「それは、人手はもちろんほしいけど、でも、条件によるわ。あなたも知ってるでしょ、なにしろウチは貧乏だから」「給料は要りません」「要らない? どんな人なの」「図体ばかりでっかくて、中身のない男ですが、牧場の仕事なら一通り出来ます。頭からっぽの分、力はあるし、身体も丈夫です。飯食わして、旨い牛乳飲ましておけば、一生懸命働きます」「そう、でも、そんな人っているのかしら」「います」「その人、家族だっているんでしょ?」「両親はとっくに死んでしまいました。でも、たった一人、妹が札幌で暮らしています。気が強くて、口が悪くて、生意気な女ですが、優しいところがあって、兄貴がこんな素晴らしい牧場で働いて暮らす事になったって聞いたら、きっと泣いて喜ぶと思います。泣き虫なんです、そいつの妹は。 奥さん、どうですか?雇ってくれませんか」(民子は、耕作の胸の中に飛び込む)

 札幌で、妹の加奈が昼の弁当を食べようとしているところに、電話がかかる。 話を聞いて、泣き出し、「いいんだよ、帰って来なくても、そっちで幸せに暮らせるならば…。おめでとう、本当におめでとう」

 山(養老牛岳?)がきれいに見える風見牧場で、民子と耕作が楽しそうに働いていて、バックに「寅さん」映画のテーマ音楽のアレンジが流れる(完)。

「世の中、ついでに生きてる」<等々力短信 第1160号 2022(令和4).10.25.>2022/10/20 07:04

 「末枯(うらがれ)」が今月の『夏潮』渋谷句会の兼題にあり、<末枯や何かと傘寿鼻にかけ>と詠んだ。 披講の時、本井英主宰が採ってくれたので、「紘二!」と名乗ったら、笑いが起こった。 去年の年賀状に、「今年信じ難い80歳になる。父は80を過ぎた頃から、急に耄碌したから、ぼちぼち、その離陸にかかっている」と書いた。 今年の賀状には、「ほんまに、八十歳になって初めてのこと、ぎょうさんありまっせ。 岡部伊都子」と添え書きした。 朝日新聞朝刊一面、鷲田清一さんのコラム『折々のことば』1707から引いた。 鷲田さんは「婚約者に「この戦争は間違っている」と告げられたのに、日の丸の小旗を振って送り出し、彼は戦地ではかなく散った。若き日のその痛恨事を原点に、随筆家は戦争や沖縄、差別や環境について、「言わんならんことは言わんならん」と語り続けた」(自伝『遺言のつもり』)と。

 『折々のことば』には、いろいろ教えられる。 「不知爲不知、是知也、 孔子」2236、「知らざるを知らずと為(な)せ。是れ知るなり」、「知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」。 「知識は伸びる手であり、「わかる」というのは結ぶことだ 幸田文」2344(『幸田文 老いの身じたく』青木奈緒編)。 幸田露伴は娘に、本を読んでものが「わかる」ということの意味を訊かれ、「氷の張るようなものだ」と答えた。 「この本こそ私一人のために書き残されたのだ、という読書の体験をもたないひとは気の毒な、不幸なひとだ 唐木順三」2095(随想集『朴(ほお)の木』)。

 「平生よりよく心を用ひ、政府の処置を見て不安心と思ふことあらば、深切にこれを告げ、遠慮なく穏やかに論ずべきなり。 福沢諭吉」1836(『学問のすゝめ』)、「政府の事は役人の私事にあらず、国民の名代となりて、一国を支配する公(おおやけ)の事務といふ義なり」、1872(明治5)年刊『学問のすゝめ』初編150年である。

 「負けた人間にしかわからないことのほうが、むしろ人間にとっては大切な問題がある 網野善彦」2238(鶴見俊輔との対談『歴史の話』)。 「人は、現実に進んだ道を「正解」にしちゃえばいいんですよ。 林家木久扇」1938(『イライラしたら豆を買いなさい』)。 「最終目的は「世の中、ついでに生きてる」というような、たかが噺家というとこね、そう思うところに早く行きたいわけですよ。 古今亭志ん朝」2376(『世の中ついでに生きてたい』)。 「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを 在原業平」2410(『伊勢物語』の最後に引かれる歌)。 「惚(ほ)れると惚(ぼ)けるはおんなし字だよ 西出幸二」1976(神田の鳶職の頭、森まゆみ『手に職。』)。 「「ま、長生きせぇ」桂米朝」1847(『上方落語ノート 第二集』)。