沢木耕太郎『暦のしずく』、ただ一人その芸で死刑になった芸人 ― 2022/10/10 07:04
馬場咲希さん(17)が8月全米女子アマチュアゴルフ選手権で優勝した時、もしかしたら親戚ですか、と訊かれた。 まったく、関係がない。 福澤諭吉協会の会合に行くと、福沢関連で聞いたことのある苗字の方がいらっしゃって、ご子孫だろうと、思う。 当方もあるいは馬場辰猪の末裔か何かのように、思われる方がいるかもしれないが、これも、まったく、関係がない。
10月1日からの朝日新聞朝刊土曜 beの連載小説、沢木耕太郎さんの『暦のしずく』第1回「序章 獄門」を読んで、驚いた。 去年の秋、落語の柳家小三治と歌舞伎の中村吉右衛門、二人の「人間国宝」が死んだ、と始まる。
「人間国宝」は、文化財保護法の「重要無形文化財」の保持者で、大きく芸能と工芸技術の二つの分野から選ばれる。 中でも、芸能は、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、組踊、音楽、舞踊、演芸、演劇といった幅広いジャンルから選ばれている。 例外はあるが、そのほとんどが近世、江戸時代に興隆した芸能だ。 芸能はその時代に生きる人々に強く支持されることで興隆する。 だが、逆に、その支持の強烈さによって、時の権力にとっては、危険なものに映ることがある。
実際、江戸時代にも幕府によっていくつかの芸能が弾圧されることになった。 たとえば、歌舞伎は、現在の形になるまで何度となく禁止される憂き目に遭っている。 女歌舞伎だけでなく若衆歌舞伎もまた、江戸前期、承応年間に、風俗紊乱を理由に禁止されている。 音楽の部の浄瑠璃では、常磐津節や清元節や新内節のルーツともいえる豊後節が、あまりにも扇情的過ぎるということで江戸中期の元文年間に禁止されている。 一説によれば、豊後節の流行によって心中事件が激増したからだという。
沢木耕太郎さんの関心は、この日本の芸能史の中で、その芸のために時の権力によって個人として罰せられた芸人が存在するのだろうか、さらには命を代償にしてまで芸を貫くというような芸人はいただろうか、に移る。 そして、この日本にただひとりだけ、その芸によって死刑に処せられた芸人がいることを発見した。
時代は江戸中期、宝暦八年十二月、南町奉行土屋越前守により獄門に処せられた芸人がいた。 獄門という罰は、こうだ。 見せしめのため江戸の市内を引き廻しの上、伝馬町の牢屋敷で斬首し、その首を浅草にある小塚原の刑場で晒す。 その芸人の名は、「馬場文耕」、講釈師だった。
私は、馬場文耕の名前だけは知っていた。 それは、また明日。
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