エリザベス一世、24歳で戴冠するまで2022/10/16 07:43

 怒涛と狂乱の人生を送ったヘンリー八世が残したのは三人の子供達。 男の子はジェーン・シーモアの子、エドワード王子のみ。 ヘンリー八世の崩御後、幼くしてエドワード六世として即位する。 そしてヘンリー八世の最後の妻キャサリン・パーは念願叶って、トマス・シーモアと結婚し、この時アン・ブーリンの子である14歳のエリザベスをチェルシーの邸宅に引き取って、義母となった。 ところが夫のトマスはなかなか浮気性だったらしく、同じ屋根の下に暮らすうちにあらぬ噂が広まり、エリザベスはこの家から放逐される。 しかしそのあと妻が産褥熱で亡くなると、あろう事か王位継承者の一人となったエリザベスとの結婚を画策するのだ。 この一件は、トマスの兄、実力者サマセット卿と枢密院の不興を買い、トマスは逮捕され反逆罪で処刑されてしまう。 エリザベスは訊問に頑なに関与を否定し、かろうじて生き延びることになる。

 エドワード六世は15歳で崩御。 次にヘンリー八世の最初の結婚で生まれたメアリーが、恐ろしいカトリック反動の女王として戴冠するのだ。 渾名の「ブラディー・メアリー」が、その治世を一言で言い表している。 プロテスタントのエリザベスも反逆罪でロンドン塔に幽閉されるが、助命運動が功を奏し、ここでも危機一髪で生き延びている。

 1558年、メアリー女王が亡くなると、エリザベスは24歳で王位を継承する。 エリザベス一世の治世は、英国をヨーロッパの強国へと飛翔させたとして評価は高い。 なにしろスペインの無敵艦隊を破り、シェイクスピアも彼女の時代にその才能を花開かせている。

 杉本博司さんは、そうエリザベス一世の歴史を見事に説明して、こう結んだ。 「一生を通じて政略結婚の申し出があったが、彼女はそれを利用しつつ拒否した。晩年には女王が処女であるとして民衆の人気を買った。人々は女王に処女マリアを見たのだ。いつの世でも、思い込みというものは恐ろしいものだ。」

 杉本博司さんの「ヘンリー八世の後半三人の王妃」と「エリザベス一世」の解説、あまりにも面白く、まったくすき間のない文章なので、再び、ほとんど全部丸写しすることになった。 すみません。