城山三郎さんのお父さん2007/10/21 07:42

 城山三郎さんのお父さんは絵が好きな少年で、明治の終りごろ、名古屋から かねて尊敬していた画家を京都に訪ねて行き、弟子にしてくれと頼んだ。 し かし画家は「画家になりたい人間は、山ほどいる。それが皆、途中で才能をす り減らして死んでゆく。とにかく生きる道をつくっておくこと、その上で絵の 勉強を始めなさい」と、懇々と諭してくれた。 少年はその熱意に打たれて、 とにかく小僧になって生計を立てようと、当時としては珍しかった室内装飾業 という仕事が名古屋にあるのを知って、就職した。 子供が次々に生まれ、(ど の時点で独立したか城山さんは書いていないが)幸い室内装飾業は軌道に乗っ たけれど、画家の道とは両立できなかった。 冒険を承知で敢えて東京日本橋 にも出店し、これが大震災後の復興景気に見合ったのか、成功し、名古屋の店 ともども順調に発展したという。

 城山さんは、名古屋の栄町、そのバス停前、東京でいえば銀座のど真ん中で 育った。 お父さんは動物好きで、家の中に高さも広さも(畳二畳分)客がび っくりするような鳥小屋をつくり、庭には池もつくって、鯉、鮒、どじょうや 金魚だけでなく、亀や蟹を飼い、さらに庭の一部を草地にして、兎を放してい た。 それで城山三郎さんの少年時代の夢は、文士でもなければ、学者や政治 家でもなく、東山動物園の園長だったという。 商家を経営する父親が早くか ら見放してくれたように、商売や接客などには全くの無能力だった、とご自分 で書いている。

 私事、20日、父の十三回忌を修す。 和尚さんは般若心経を唱えてくれる。 父が何千枚も写経をした般若心経だ。 週間予報に反し、さわやかに晴れて、 墓の上の空には、巻雲がたなびいていた。

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