昭和29(1954)年の寄席の写真2008/04/25 08:10

 カメラマン金子桂三さんが昭和35(1960)年から撮った『昭和 寄席の名人 たち』(三一書房)を、ちょうど11年前の「等々力短信」770号(1997.4.25.) で紹介した。 その時、こんなことを書いていた。  「鈴本の舞台に顎をのせて、漫談の大辻司朗を見ていたら「坊ちゃん、寄席 なんか退屈でしょ。かわいそうねぇ。お母さんの犠牲になって」とやられた。 場内爆笑で、顔から火が出た。それを忘れられないのは、大辻司朗がまもなく 日航機「もく星号」の大島三原山に激突した事故で亡くなったからだ。翼が発 見されたという誤報で、舞阪という地名を覚えた。救助された大辻司朗の談話 を載せた地方紙もあった。「もく星号」事故は「木」を「もく」と読めなかった 昭和27年4月9日のことだった。」

 昭和35(1960)年よりも、その昭和27(1952)年に近い、寄席の写真が現 れた。 昭和29(1954)年から翌30年にかけて、人形町末広の高座と噺家の 自宅を撮った写真家田島謹之助さんの作品で、その数は二千枚を超す。 立川 談志が思い出話をつけて、『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房)という本にな った。 当たり前だが、円生も、文楽も、志ん生も、小さんも、みんな若い。  こちとらが、寄席の舞台に顎をのせるくらいの背格好の、ガキだった頃の師匠 たちだもの。

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