薩摩藩「江戸屋敷」考2008/04/16 07:13

 13日放送の大河ドラマ『篤姫』「姫、出陣」で、将軍家に輿入れ予定の篤姫 は、薩摩藩の芝屋敷にいて、斉興とお由羅のいる高輪屋敷に出かけていく。 嘉 永6(1853)年8月21日、数え年19歳で鹿児島を出発した篤姫は、10月23 日にこの芝藩邸に到着した。 11月23日には、13代徳川家定に将軍宣下があ った。 婚礼は、篤姫22歳の安政3(1856)年12月13日だから、その間に 三年の歳月が流れる勘定になる。

 畑尚子さんの『幕末の大奥』(岩波新書)によると、安政期の薩摩藩島津家の 江戸屋敷は、上屋敷が外桜田幸橋御門内、藩主とその家族が住む中屋敷が芝新 馬場、下屋敷が芝新堀・下高輪・中渋谷、抱屋敷が下渋谷・下高輪にあった。  ドラマの芝屋敷というのは、この中屋敷、高輪屋敷は下高縄の下屋敷であろう。  私の見た限りでは、畑さんは詳しい場所を書いていないが、芝屋敷は三田の現 在のNEC本社のあたり、高輪屋敷は品川駅に近いホテルパシフィック東京の 所かと思われる。

 篤姫が芝屋敷にいた安政2(1855)年10月2日に大地震があり、芝屋敷が 半壊したため、12月篤姫は渋谷別邸に避難し、輿入れも渋谷からだった。 こ の渋谷別邸が、上の中渋谷か下渋谷のどちらかはわからないが、宮尾登美子さ んの原作には斉彬が高木家(三笠宮百合子さまの実家)の屋敷を買い入れたも のだとあるそうで、現在の青山学院大学のところだという。