天璋院・篤姫という女性像2008/04/18 06:51

 大奥や奥女中に関する研究は、女性たちが残した史料(書状・日記)や分限 帳・奥日記といった幕府や諸藩の記録を基にして、平成に年号が変わる頃から、 新しい展開を見せているらしい。 畑尚子さんの『幕末の大奥 天璋院と薩摩藩』 (岩波新書)は、表向の男性の政治や社会に対する「奥向(おくむき)」、女性 の役割を中核に据えて、書かれている。 天璋院・篤姫は、こんな人物だった という。 性格は男性のようで気性が激しく、自己主張を押し通すタイプだっ た。 他人の意見に左右されず、自分の考えで物事を決める、頑固なところが あった。 頑固なだけでなく、周りへの気配りもでき、老中と対等に政治の話 もでき、決断力のある人物だった。 宮尾登美子さんの原作で「婦徳」を軸に、 婚家に尽くしてその慣習に従った女性として描かれているという天璋院だが、 大河ドラマの『篤姫』の方は、最近の研究による人物像寄りの線で描かれてい るのかもしれない。

 畑尚子さんは、篤姫が自分の考えで物事を決める一例として、将軍継嗣問題 で「斉彬から一橋慶喜を推すように言われても、養父(近衛)忠煕に書状を送 り慶喜を養君(後継者)にという勅許を下さないように頼んでいる」ことを挙 げている。 この史実は、現在までの大河ドラマ『篤姫』とは、大いに矛盾す るように思われる。