松岡正剛さんの「編集」2008/04/08 06:34

 一晩聴いてきた落語の話を、8日間も書いてきて、いいのか。 いいのであ る、と思われるような話を聞いたので、書いておく。

 4月1日放送の「爆問学問」、二年目に入った「爆笑問題のニッポンの教養」 は、File.32「世界は編集されている?」編集工学研究所長の松岡正剛さんだっ た。 この番組を見るまで、松岡さんのいっている「編集」というのが、どう いうものなのか、わからなかった。 それぞれの知には、独自の物の見方や考 え方がある。 それらは、20世紀までに、ほぼ出尽くした。 それらを縦横に 組み合わせた時、新たなアプローチが生まれるはずだ。 松岡さんは、それを 「編集」と呼ぶ。

 まず、いろいろな方法を集めてくる。 記憶したり、記録したりしたインプ ットを、どこかでアウトプットする、つまり語ったり、表現したりして再生す る。 人間の脳や能力は中途半端で、入ったことを再生する時、INとOUTは、 どうしても同じにならない。 違うものになる。 その「ずれ」が重要だ、そ の間に、関心がある、と松岡さんは言う。 言語の不埒なおぼつかなさ、悲し みとか、笑いとか、おかしみというものも、そういう間の「ずれ」で起こって くる。

 書き言葉と話し言葉は、本質的に違う。 15,6世紀までは音読だった。 ア コースティック(聴覚的)な回路が、ずっと人間の身体と知と表現と喜怒哀楽 をつないでいて、声と笑いと哲学は一緒だった。 グーテンベルクの活版印刷 の発明以来、身体に通っていた声が、なくなった。 その声とともに、書き写 す(書写性)ことがポーンと抜けて、結局、黙読社会になっちゃった。 声の 文化を残すというのは、古代以来の人間の、その場限りの出会いを、一回一回 身体を通して伝えていく、そういうメソッドを伝える気がする、と松岡さんは 語った。

 その場限りの出会いといえば、落語も、句会も、こうしたテレビ番組も、そ うだなあ、それを書いておくのも「編集」かと我田引水したのだった。