父親が口にしていた「ことば」 ― 2016/09/06 06:14
野口冨士男さんと同じ明治44(1911)年の、7月15日、「地獄の釜の蓋が開 く日」に生れた父が、折にふれて言っていた言葉を思い出す。 あらためて「地 獄の釜の蓋が開く日」と聞いていたのを調べてみると、お盆の16日は地獄の 鬼も休みで亡者を叱り責めることを休むのだという。 正月の16日と合わせ、 現世でもその日前後に、奉公人が主家から休みをもらって親もとなどに帰る、 年二度だけの休み「藪入り」があった。
父は、大川端の新川にあった中央商業(今は、箱根駅伝に出る中央学院大学) を出たが、そこで漢文の先生が言っていたというのが、
「ただ食って寝るだけで勉強しない奴は、糞(便)製造機だ。大川に蓋はない から、飛び込んでしまえ。」
私が小さい時、引っ込み思案の私を心配し、どこかの大学の先生に聞いてき た言葉。 「内気は個性を守る宝だ。」
私が学校を出て銀行に勤めた頃、「(会社で)役に立つ働きをする人は、案外 少ないものだ。」
零細なガラスの工場を経営していて、苦しい時には、
「どうにもならない時は、どうにか様が出て来て、どうにかしてくれる。 こうにもならない時は、こうにか様が出て来て、こうにかしてくれる。」
「明けない夜はない。」
従業員が、手抜きをして、段取りをふまずに、怪我をしそうになると、 「痛いのは、自分持ち。」
「大事は小事の累積で、小事のうちにかたづけろ。」
「半端人足ばかりを集めて、何とかやっていくのが、中小企業の親方。」
何十年お世話になっていますと従業員が自慢すると、
「何年いたかではなく、何をやったかだ。」
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