放送作家、作詞家としての永六輔さん2016/09/19 06:29

 永六輔さんと、大橋巨泉さんが亡くなった。 高校生の頃、ラジオ関東とい うラジオ局が出来て(昭和33(1958)年12月、現・アール・エフ・ラジオ日 本)、夜晩く『昨日のつづき』(昭和34(1959)年7月~)という番組をやっ ており、毎晩聴いていた。 「今日の話は昨日のつづき、今日のつづきはまた 明日」「出演は前田武彦、永六輔、大橋巨泉……それに私、富田恵子(女優。草 笛光子の妹)」、三人が勝手なおしゃべりをして、アシスタントで彩りの富田恵 子をちょっとからかう。 何も覚えていないけれど、ものの見方や考え方、ユ ーモアなどで、高校生の私はけっこう影響を受けたのだろうと思う。

 それより前の子供の頃、NHKラジオに三木鶏郎の『日曜娯楽版』という番 組があった(昭和22(1947)年10月~昭和27(1952)年6月。4月28日に 日本はサンフランシスコ講和条約の発効で占領から独立)。 「冗談音楽」とい う歌(『僕は特急の機関士で』がヒット)の間に、風刺を含めたコントを連発し て、とても面白かった。 出演は、楠トシエ、中村メイ子、三木のり平、丹下 キヨ子、有島一郎、太宰久雄、小野田勇、千葉信男、河井坊茶など。 昭和8 (1933)年生れの永六輔さんは、番組開始の頃は中学生だったが常連投稿者と なり、高校時代には番組の構成作家になったという。 三木鶏郎の他の作家は、 キノトール、能見正比古、神吉拓郎、野坂昭如、飯沢匡、伊藤アキラなど。 作 曲家は、神津善行、いずみたく、桜井順ほか。 懐かしい名前ばかりだ。

 テレビの時代になってから永六輔さんといえば、何といってもNHKの『夢 であいましょう』(昭和36(1961)年4月~昭和41(1966)年3月、末盛憲 彦プロデューサー)だろう。 渥美清とともに、ニヤニヤしながら、司会の中 嶋弘子にからむ永六輔さんの姿は今も目に浮ぶ。 永六輔作詞、中村八大作曲 の「今月の歌」は、「上を向いて歩こう」(坂本九)、「ブルージン・ブルース」 (弘田三枝子)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「いつもの小道で」(田辺 靖雄)、「おさななじみ」(デューク・エイセス)、「今日は赤ちゃん」(梓みちよ)、 「ウェディング・ドレス」(九重佑三子)、「帰ろかな」(北島三郎)などのヒッ ト曲を生んだ。

 永六輔さんのベストセラー『大往生』(岩波新書・1994年)に、中村八大さ んに作詞をするように言われるまで、永さんは詞を書いたことも、書こうと思 ったこともなかった、という話がある。 八大さんは芸大附属で天才ピアニス トと謳われたのに、芸大へ行かず早稲田に転校する。 音楽以外のことを学ぶ ためだった。 早稲田大学は八大さんにとって、音楽から一番遠い学校という 名誉ある選ばれ方をしたのである。 このことで早稲田中学から早稲田ッ子の 永さんが八大さんと出逢うことができたのだ。 永さんが八大さんに言われて 作詞をしたのは、BIG4の、人気絶頂のピアニストからの依頼を断る勇気がな かっただけである、という。