轟亭の小人閑居日記 　　　馬場紘二

　川崎勝さんの講演で、板垣退助の外遊費出所問題というのを、少しくわしく 見てみよう。 　「馬場辰猪自伝」（西田長壽訳。『馬場辰猪全集』第3巻86-89頁）には、「そ の上に旅費の問題、即ち金の出所の問題が起つた。その出所は極めて疑わしか つたし、満足な説明も与えられなかつた。今では、政府がその旅費を出したこ とは事実である。」とある。　馬場辰猪「日記」では、昨日見た1882（明治15） 年9月16日の項に「板垣ノ洋行ハ政府ノ策略ニ出ル者ナルヲ論シ」と、政府 にはこの時期に板垣を外国へ連れ出す策略があった、とする。

　『自由党史』（岩波文庫（中）207-227頁）。　1882（明治15）年7月、後藤 象二郎が板垣に勧めた、二人とも外国に行っていない、「党中漸く閑なるの時、 相携へて泰西に遊ばん。唯其旅費の如きは僕既に熟計ありと。即ち平生親交あ る華族蜂須賀茂韶に就て借資の労を執らんと曰ふ。」

　「馬場等果然其蜚語に惑ひ、大石、末広等と相率いて板垣に到り、費金の出 処を質す所あり。板垣既に後藤の手に頼り、蜂須賀氏出金の諾を得たるを以て、 悉く挙げて其実を語る。馬場等猶ほ以て陽に蜂須賀の名を借るも、陰に政府の 出す所なりと為し、深く猜して已まず。」

　「是に於て板垣は群疑を招くを屑しとせず、別に出金の計を画せんと告げ、 急に森脇直樹を遣はして、星夜大和に馳て土豪土倉庄三郎に計らしむ。土倉は 財あり義あり、夙に自由主義を執り、板垣を信ずるや厚し。曾て財を醵して立 憲政党の創立に資くる所あり。乃ち森脇の談を聞いて、之を快諾し、立ろに三 千金を出し、之を与ふ。森脇帰て之を板垣に報ず。板垣直に馬場を喚び、明か に其顛末を告げ、暁示して他念なからしむ。馬場等遂に疑ふ能はず、乃ち黙す。」

　板垣は、この土倉庄三郎の三千円の話を出して、馬場等の攻撃を巻き返すこ とになるのだが、実際の旅費は最初三菱に交渉して断られ、井上馨の斡旋で、 三井から二万ドルを出させた。　その事実は政府筋の数人も知っていた。（その 件は20年前の寺崎修さん（当日の司会）の論文にあるそうだ。）

　そのあたりに関連して、川崎勝さんの講演で興味深かったのは、「中上川彦次 郎書簡　山口半七宛」（明治15年11月24日付）だった。　『福澤手帖』43 号（昭和59年12月20日）、山口一夫「明治十四年政変後の中上川彦次郎書簡」 と、『馬場辰猪全集』第四巻138-140頁に掲載されている。　山口半七は山口 広江の子、私も存じ上げていた山口一夫さん（『福澤諭吉の西航巡歴』などの著 者）の祖父で、大分県の改進党を生み出した人物。　中上川の書簡にこうある。　

「総理板垣君一身の財政頗る困難、東京に来りたるも旅費は総て三菱会社より 給したる事に候へ共、着京後三菱は板垣君に金を遣らず、同君も実に進退維谷 と申場合に候。後藤象次（二）郎君は、福沢先生の周旋により、長崎の高嶋炭 坑を三菱会社に譲り、六万円とやら金を貰ひたるに付、是より政事上に一仕事 を企てんとて、高縄（輪）の旧宅を修覆し、一万円計にて新規に日本作の家を も建増し、大に外観を飾りたるが、自由党の世話をする程の金はなく、僅に板 垣君を補助致す位に止まりたる事に候。彼是する中、後藤君は次第に政府の人々 に信ぜらるゝことになり、福沢先生も種々尽力、政府より二万弗を出し、板垣、 後藤二君を洋行せしむることゝなりたり。是は井上外務卿最も周旋したるよ し。」

「来年後藤君帰朝の上は何かよき風も吹くべき歟と相待居候。」「今の政府は薩 長の勢力無上なり。長州は才を以て少しは押廻はれども、真逆の時には矢張り 逐出さるゝ仲間なり。近来福沢先生は薩長参議と親密なるを見て、井上参議等 は大心配なり。先生は井上の事を公然悪口致し居候。」

　福沢は二万弗のことを知っていた。　それがいつの段階か。　「福沢先生も 種々尽力」が、どこに懸かるのか。　「政府より二万弗を出」すことか、「板垣、 後藤二君を洋行せしむること」か。

　福沢は、後藤象二郎を買っていて、後藤が洋行で経験を積む、その洋行帰り に期待して、大きな風を送った。　明治14（1881）年の政変から一年、福沢 は伊藤博文、井上馨を許していなかった。

　セミナーの終りに、「二万弗」について質問があった。　当時は、1ドル＝1 円、円安だったが、一万円（両）で十分一年間留学できたらしい。