「サイフォンの原理」の応用2018/04/16 07:16

 「滝野川反射炉」への分水を確認するために「年表」を参照した『ウィキペ ディア』の「千川上水」の「沿革」の項に、こんな記載があった。 「巣鴨に 達した上水の水は、地中に埋められた木樋により」(供給された)、「寛永寺への 給水は、途中で谷田川の流れる谷を越える必要があり、密閉された樋による「サ イフォンの原理」の応用で一度水を谷底まで落とし、掛樋で谷田川を渡し、寛 永寺のある対岸の台地上へポンプなしで上げることができたといわれる。」 本 郷台地と上野台地の間に谷田川(藍染川)が流れていた。 この付近の地形や 坂道が多いことは、慶應志木会・歩こう会の「田端から本郷、湯島までを歩く」 で体験し、「田端から上野・本郷両台地の谷間を歩く」<小人閑居日記  2016.10.12.>に書いていた。

 上水(水道)の供給に、江戸時代の初期から「サイフォンの原理」が応用さ れていたことは、『ブラタモリ』の桑子真帆アナの初期、2015年4月25日放 送の「#3 金沢」でやっていた。 金沢城も焼ける大火のあった翌年の寛永9 (1632)年、金沢城から11キロ先の犀川上流で取水して台地の縁を通る「辰 巳用水」を完成させる。 兼六園(竹沢御殿)と、金沢城の間には、堀がある。  兼六園から一旦下がって、また城の二の丸へ上げるのに、空気圧「逆サイフォ ンの原理」を使ったと実験をし、兼六園の徽軫(コトジ)灯籠のそばに石を刳 り貫いた石管の痕跡のあるのを、見に行っていた。 防火のために引かれた「辰 巳用水」は、田畑を広げ、城下町の暮しを潤し、その後も、金沢の繁栄を支え 続けたという。

 今でも、兼六園の噴水が「逆サイフォンの原理」で噴き上がっている話が、 「葬儀屋であり、母であり、自由人ですが何か。」という方のブログにあった。  文久元(1861)年に出来た「現存する日本最古の噴水」であるが、「逆サイフ ォンの原理」は飛鳥時代(7世紀)から「伏越(ふせごし)の理」として知ら れており、『続日本書紀』の持統天皇の条に飛鳥寺の西にこの原理の噴水がつく られたとあるそうだ。 このブログ、「サイフォンの原理」や「逆サイフォンの 原理」「金沢城でのその応用の図」などがあって、わかりやすい。

https://norikodiary.com/kenrokuen-hunsui-shikumi/

 『ブラタモリ』が近江友里恵アナになって3回目の2016年5月14日放送、 「#38横浜」「横浜の秘密は“ハマ”にあり!?」でも、横浜の近代水道に「サ イフォンの原理」が応用されたことをやっていた。 当時書いた、「横浜の水、 日本初の近代水道」<小人閑居日記 2016.8.25.>から、引いておく。

 開港当初、“ハマ”横浜村500人と吉田新田の田圃だった横浜は、明治15 (1882)年には人口が7万7千人にも増加した。 深刻な水不足に陥ったのだ。  そこで『ブラタモリ』一行は、尻こすり坂という急坂へ行く。 野毛山と藤棚 方面を結ぶ西区西戸部町1丁目付近。 地図に水道道とある。 明治20(1887) 年、相模川の取水口から野毛山の配水池までの、44キロのアップダウンを、逆 サイフォンの原理の自然の力で、水を引いてきた日本初の近代水道だ。 129 年後の現在も、横浜中心部の約10万世帯に水を供給しているという。

 明治20年、近代水道というので、私がすぐに思い出したのは、今まで、し ばしばこの日記でも書いてきたW・K・バルトンのことだ。 ただ、バルトン の来日は、まさにその明治20年なのである。 横浜市水道局のホームページ を見ると、日本初の近代水道である横浜の水道の顧問は、英国人技師H・S・ パーマーだった。 海を埋め立てて拡張した横浜は、井戸を掘っても塩分を含 んで良質の水は得られず、飲み水に適さなかった。 明治10(1877)年、12 年、15年、19年にはコレラの大流行もあった。 神奈川県知事は、H・S・パ ーマーを顧問として、相模川の上流に水源を求め、明治18(1885)年近代水 道の建設に着手し、明治20(1887)年9月に完成(三井取水所、野毛山浄水 場)、10月17日に給水が開始された。 横浜が発祥の地となった近代水道とは、 川などから取り入れた水をろ過して、鉄管などを用いて有圧で給水し、いつで も使うことのできる水道をいう。

 昭和60(1985)年厚生省選定の「近代水道百選」に横浜市の水道施設が4 つ選ばれている。 相模原市緑区青山の「旧三井用水取入口」、「旧青山取入口 と沈でん池」「城山ずい道」「水道創設記念噴水塔」だ。 「水道創設記念噴水 塔」は、日本近代建築の父と呼ばれ、鹿鳴館や山手聖公会などを設計したジョ サイア・コンドルにより選定され、英国のアンドリュー・ハンディサイド社で 製造された。 鋳鉄製で高さ約4・4メートル、重さ約1・3トン、イルカ、ラ イオン、葉アザミなどの模様が施されている。 現在は横浜水道記念館(保土 ヶ谷区川島町)に保存されている。 水道創設100周年を記念して、レプリカ が製作され、港の見える丘公園と、創設当時の水源地であった相模原市緑区(も との津久井町)に設置されている。