金沢続報―片町商店街、柿木畠、人麻呂謎々2023/12/31 07:06

 「等々力短信」やブログ「轟亭の小人閑居日記」に書いたことで、続報というか、展開があることがある。 今年のハイライトは福澤諭吉協会の金沢旅行だったが、10月の「等々力短信」第1172号 小泉信三さんの「鏡花と滝太郎」と、金沢についての一連のブログは、それにつながる話が多かった。

 朝日新聞の「はじまりを歩く」、11月4日は「商店街(金沢市、新潟市、東京都台東区)」だった。 組合組織が結成された商店街として、最も古い場所を探している。 明治27、8年の金沢市片町の片町商店街が最初で、現在の片町商店街振興組合(組合員数78)、犀川大橋から見た夜の片町商店街の写真が出ている。 二番目は明治31年の東京台東区の竹盛会(佐竹本通商店街)、現在の佐竹商店街だという。

 作曲家の池辺晋一郎さんは、「うたをつないで 大岡信とことばの力」に「いろはにほへと 人麻呂は」(12月6日・朝日新聞夕刊)で、仕事を持っているため、この20年余、頻繁に金沢へ行くという。 この町で、食の中心は片町、そして柿木畠(かきのきばたけ)という地域だ。 この面白い地名は、江戸時代初期、正確には寛永8(1631)年と同12(1635)年の2度にわたり金沢は大火に襲われたことによる。 時の加賀藩2代藩主・前田利常は、城と犀川の中間地を火除地に決め、そこに柿の木を植えさせた。

 柿の木が防火対策になるのか。 カキノモト、ヒ、トマル=柿のもと、火、止まる……柿本人麻呂のもじりだ。 池辺晋一郎さんは、誰が最初にこんなことを言い出したのか、それで大真面目で柿の木を植えたなんて……不思議だが、滑稽でもある、と。

 「いろはにほへと 人麻呂は」の後半は、いろは歌の作者の説に、空海、平安期の歌人・小野篁(おののたかむら)、菅原道真などのほかに、柿本人麻呂説があり、しかも人麻呂は流刑者だったというのがある。 「いろはにほへと」の「と」、「ちりぬるをわか」の「か」、同様に「よたれそつね」の「な」、と七字ごと(最後だけ五字)の末尾を拾うと、以下「く、て、し、す」となる。 「とかなくてしす」だ。 濁点を加えると「とがなくてしす」→「咎(とが)なくて死す」。 無実の罪で死ぬのだ、という恨みが隠された歌であり、その罪人は人麻呂だという。

 そこで、大晦日に年越しのクイズを一つ出したい。 そのあと池辺晋一郎さんが書いている、室町時代の謎々である。 「近きあいだに必ずまいりまする。この中に隠されている食べ物は?」

 ヒントは、漢字を全部、仮名にしてみること。(答は元日に。どうぞ佳い年をお迎え下さい)

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