「落語研究会」の歴史的な日2005/07/02 07:17

 6月30日は第444回落語研究会。

「金魚の芸者」     林家 ぼたん

「三人無筆」      柳家 一琴

「質屋庫(ぐら)」    柳家 権太楼

        仲入

「そば清」       春風亭 昇太

「景清」        林家 正蔵

 林家ぼたん。 次に上がった一琴が、今日の客は歴史的な日に立会っている、 といった。 ぼたんは明治に始まる第一次「落語研究会」以来、初の女性演者 だから…。 本格落語の復興をめざした三遊亭円左(円朝の弟子)が、夏目漱石 が名人といった三代目小さんをさそい、石橋思案や岡鬼太郎、今村次郎の応援 を得て結成した「落語研究会」の第一回の発表会が日本橋の常磐木倶楽部で催 されたのは、明治38年3月21日のことだった。 関東大震災まで18年続い たこの会が第一次、昭和43年3月から始まり私がずっと通っている現在のTBS 主催の会は第五次ということになる。 伝統的な芸格、落語のトリデを守って きたと評価されている「落語研究会」に、ついに女武者が登場したのである。  ぼたんは、ずっとこの会の「めくり」(前座)を務めてきたから、いずれ高座に 上がる日もあるかと、思っていた。 めでたく二ッ目昇進、こん平の弟子だと いう。 黒い着物に、濃緑の袴もきりりと、明治の書生風で出て、「暑い」とい う。 着物の世界では、明七月一日から夏物になるのだそうだ。 着物を着て いると、「ちょっといいかしら」と寄って来て、口出しする「お直しおばさん」 というものが必ずいて、先日も新幹線の車中で、帯を解かれ、最初から直され たという。 「金魚の芸者」、歴史的立場で硬くなってもいたのだろう、まだま だという出来だった。

 一琴は、だいぶ痩せた。 西郷隆盛みたいだったのに。 頭をきれいに、ま るめている。 今あえて「無筆」の噺をするのには、最近あることを経験した からだ、という。 思い立って韓国語を勉強しようと、TBSじゃない某テレビ 局の語学講座で始めた。 やる気満々、テキストの定期購読を申し込んだ。 2 週間目に、ハングルというあの字、鍵穴みたいな字の羅列に閉口して、挫折し た。 あれは利口のやることじゃない。 それで「無筆」の気持が、わかった。  以来、毎月20日になると、定期購読したテキストが送られて来て、「無筆」の 気持を復習する。 「三人無筆」、なかなかの出来だった。 この人、将来に大 きな期待が持てる。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック