「以仁王の令旨」から『広辞苑』を歩く ― 2005/12/19 08:28
大河ドラマ『義経』に「令旨(りょうじ)」や「院宣(いんぜん)」が、しばしば 登場した。 武士は、朝廷のお墨付きを得て、ことを行うわけだ。 治承4(1180) 年「以仁王(もちひとおう)の令旨」を奉じて、頼朝は平氏追討の兵を挙げ、義 仲も、義経もそれに呼応する。
「令旨(りょうじ)」を『広辞苑』で引いてみた。 「皇太子、また三宮・親 王および王・女院の命令を伝える文書。れいし。」
「三宮(さんぐう)」を引く、「三后に同じ」というので、「三后(さんこう)」を 引く。 「太皇太后・皇太后・皇后(または中宮)の総称。三皇后。三宮(さんぐ う)。」 「太皇太后(たいこうたいごう)」は「三后の一。先々代の天皇の皇后。 天皇の祖母で、皇后であった方。(その敬称と宮殿は) 太皇太后宮(おおいおお いきさいのみや)。」
「親王」を引く。 「皇族の一。(1)律令制で、天皇の兄弟・皇子。のち親王 宣下のあった皇族に限る。(2)現在の皇室典範で、嫡出の皇子および嫡男系嫡出 の皇族の男子の称号(女子は内親王)。」 ついでだが「親王家」に「江戸時代に は伏見・桂・有栖川・閑院宮の四家があった。」
「王」を引く。 該当するのは「皇族の一種。親王の宣下のない皇族男子。 旧皇室典範では五世(1947年制定では三世)以下の皇族の男子。」 そして「以 仁王(もちひとおう)」は「後白河天皇の第三皇子。三条宮。高倉宮。1180年(治 承4)源頼政と謀り、諸国の源氏を誘って平氏討伐を企てたが発覚し、園城寺(お んじょうじ)に逃れ、南都への途中、光明山鳥居前で戦死。(1151~1180)」
「女院(にょういん)」を引く。 「(ニョインとも)天皇の母や三后・内親王な どに対して朝廷から与えられた尊称。皇居の門号を付するものを門院ともいう。 待遇は院(上皇)に准ずる。一条天皇の時、皇太后藤原詮子を東三条院と称した のに始まり、後一条天皇の時、太皇太后藤原彰子を上東門院と称して以来、院・ 門院の二種となった。」
大河ドラマ『義経』は、勉強になった。
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