「街鉄の技手」と東京市電2006/12/10 08:21

 種村季弘さんの最後のエッセイ集『雨の日はソファで散歩』(筑摩書房)を読 んでいたら、『坊つちやん』が「街鉄の技手」になったことの能書きがあった(130 頁)。 当時の中学教師といえば、いまの大学講師並みだ、それが市電の運ちゃ んか車輌整備係になったとも読める。 しかし、実情はちがうという。 戦後 の昭和25年頃でさえ荒川線(王子電車)の乗務員たちは「沿線の女性がプレ ゼントしてくれるハンドルカバーを停車場ごとに取り替えた」というほどモテ た。 むかしからそうで「駅々にはハンドルカバーや手袋などの愛らしいプレ ゼントを持った娘たちが待ち構えていた。全盛時代には、電車屋さんといえば 縁談が殺到したという」と、『東京市電・東京都電』(ダイヤモンド社)にある そうだ。 いまの旅客機パイロットくらいの人気稼業だったのである、と種村 季弘さんは書いている。

 漱石が『坊つちやん』を『ホトトギス』に発表した明治39(1906)年4月 の2か月後、「街鉄」は東鉄(東京電車鉄道株式会社)に合併されて消滅して しまう。 「したがって坊っちゃんの街鉄在職期間はわずか二カ月」と、種村 さんは書いているけれど、これはおかしい。 『坊つちやん』には日清戦争戦 勝祝賀会が出てくるから、漱石が松山にいた明治28年の設定だ。 それはと もかく、東鉄の前身は明治15年開業の東京馬車鉄道株式会社。 馬力から電 力に変って市内電車が誕生した。 その後もうひとつの外濠線が出来、東鉄、 街鉄、外濠線の競合時代を経て、明治44年にその民間三社を東京市が買い上 げて、その名も市電となる。

コメント

_ e.t. ― 2009/03/28 22:48

はじめまして
>『坊つちやん』には日清戦争戦勝祝賀会が出てくるから
とありますが、『坊っつゃん』に出てくる祝賀会は日露戦争の戦勝祝賀会の可能性が大だと思います。
岩波文庫版『坊っつゃん』の注には
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祝賀会
戦勝を祝う会。日露戦争当時のロシア軍の総司令官クロパトキンの名前が師範生との喧嘩で出てくるので、日露戦争勝利の祝賀会である。『坊っちゃん』発表の前年、明治38年9月、アメリカ・ポーツマス条約調印。同10月16日批准。漱石が松山在住中に直接見聞した日清戦争祝勝のことではないが、いくぶんの反映はあるだろう。
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とあります。
また決定的なのは「街鉄(東京市街鉄道)」が開通したのが明治36年9月だということです。『坊っつゃん』の時代設定がが明治28年だとすると街鉄に就職するのに少なくても8年待たなければいけなくなります。
以上です

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