深まる日中の溝、中国市場にアメリカ2023/11/27 07:10

 内藤湖南の描いた中国から、今日の大国化した中国、日本の今後の中国との関係をどう読み解くのか。 まず、中国の自立した平民社会という問題がある。

 関西大学の陶徳民教授…湖南は現実の局面と歴史の底流、両面から中国の情勢を把握していく、そういう複眼的視野を持っていた。

 岡本隆司京都府立大教授(中国近代史)…湖南は明治の年と同じ年齢、漢学の伝統の上に西洋の学問を吸収、摂取、融合させて新しい文化、学問をつくっていく、横断的な、日本の近代を体現した存在。どこから始まっているのかがわかれば、どこから弊害が起こるか、利点、短所、長所が理解できる。表面だけでなく、対象の仕組みを歴史から全部見る。

 安田峰俊さん(ルポライター、東洋史を学び中国をフィールドにノンフィクション作品を発表)…一昔前までの中国、地方の村に泥棒がいない、もしいたらボコボコにされる。権力が末端まで届き切らない。

 高橋源一郎さん(作家)…国家と個人の間にある、中間共同体重視。地縁、血縁、職業組合など。トランプ現象の分析に、アメリカの中間共同体(保安官のいる自治)の没落をいう人がいた。

 支那情勢は、湖南の期待と別の展開を見せる。 大正3(1914)年第一次世界大戦が勃発、日中に暗い影がさし、大正4(1915)年日本は山東省のドイツ租借地を占領。 大正8(1919)年パリ講和会議で、山東権益が認められると、学生の反日デモが起き、学生は伝統文化を攻撃し、西洋文化を吸収しようと主張する。(思想革命)

 湖南は、中国書画の鑑賞会を京都南禅寺天授庵で開く。 王羲之の名品などで愛好家を誘い、清朝崩壊で流出した書画を日本にもたらしたいと考える。 北宋水墨画の傑作、大阪市立美術館蔵の《読碑窠(か)石図》伝 李成・王暁(阿部房次郎コレクション)など は、それによる。

 大正6(1917)年、湖南は外務省の依頼で中国を視察した。 アメリカの資金で建てられた数々の大学の充実ぶりに驚く。 教育の力で中国にアメリカ文明を広めようとしている。 対米依頼、対日恐怖の感情が広まっていた。 大正10~11(1921~22)年、アメリカ主導のワシントン会議が開かれ、アメリカの中国市場への関心が示され、中国に対する9か国条約で門戸開放、機会均等が決められた。 湖南は、この動きを警戒し、「新支那論」でアメリカを非難する。 日本は資源のない国、資源の豊富な英米主導の世界秩序に異議申し立てをする。 中国市場でアメリカに追いつめられた日本は真っ先に破裂すると、後の日米対立を予言した。

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