志ん橋・志ん輔・朝太、弟子達の「志ん朝」2008/10/04 07:10

 〈鼎談〉とマクラから、志ん橋・志ん輔・朝太、三人の弟子たちの「志ん朝」 も書いておく。 朝太は最後の弟子で、師匠の息子さんよりも年下だから、子 供のように接してもらった、親しみのあるやさしい、フレンドリーな師匠だっ た。 それに対し、昭和44年入門の志ん橋は、志ん朝が「鬼平犯科帳」のス ターの頃で、口もきいてくれなかった、お茶をいれましょうかと聞いても、返 事をしない。 三回目に、いれたきゃ、どうぞ、といわれた。 感じが悪かっ た。 前座の修業が終わって、二ッ目になると少し変わったが…、と。

 志ん輔は、毎年元旦には師匠の所へ行っていたので、行く所がなくなった。  命日が10月1日なので、毎月1日にお墓参りに行く。 まだ、師匠がそのへ んにいる感じがする。 鈴本で「お見立て」をやっていたら、スッと師匠が降 りて来た。 その頃ゆっくりした調子でしゃべっていたのだが、降りて来て押 すので、ついテンポよくしゃべる。 大受けに受けた、今日よりもずっと。 御 者が馬を押し出す感じ。 4回、降りてきた。

 志ん橋は、ほめられたことは、一度もない、という。 怒られたことばかり。  おかみさんとも、ぶつかった。 そうしたら、車で師匠と二人になった時、「一 番身近な人を、いい気持にさせなきゃ、だめだよ」と言われた。 師匠にくっ ついて、よく旅をしたが、無呼吸症候群でイビキが凄い。 地方のホテルで、 いっしょにダブルベッドに寝た時は最悪、ドンと弾んだ。 グリーン車で、ほ かのお客さんの迷惑になるからと、車掌に起されたこともあった。 師匠はそ そっかしい、財布も切符も持たずに出かけ、東京駅前の交番でお巡りさんのプ ライベートのお金を借りて、旅に行ったこともあった。

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