小尾先生「頑張らない」の真意2010/06/16 06:34

 12日、帝国ホテルの東京三田倶楽部で、2010年小尾ゼミOB会があった。  毎年この時期に極楽寺の成就院で「紫陽花ゼミ」として開かれてきたが、昨年 の十三回忌で「紫陽花ゼミ」は一応終り、今後はOB会をどのようにするか、 続けるのかどうか相談する会だった。 結論は、ともかく続けようという意見 が圧倒的多数で、とりあえず来年も東京三田倶楽部でやろうということになっ た。

 昨年の会では、清家篤塾長の「実学の精神と小尾先生」という講演を聴いた が、その中に小尾先生が「我慢」や「頑張る」という言葉が嫌いだったという 話があった。 塾長の父、建築家の清家清さんも、その言葉が嫌いだったとい う。 12日の会で配られたプリントに、その真意について、小尾先生のお嬢さ んの祐加さんが、清家塾長に質問し、塾長が答えた手紙があった。 祐加さん はそれが「頑張らずに楽に生きる」というニュアンスではなく、父上的に言え ば、ホモサピエンスは物事に取り組む時、「やみくもに頑張る」などという精神 論でなく、「予測」や「検証」にもとづき「知的」に解決するということであっ て、「頑張る」や「根性」などは野蛮で愚かな考えだということだろうという結 論に達して、塾長に確認したのだった。

 清家篤塾長の回答のさわり。 「先生の意味は、楽に生きるということでは なく、頑張るとか、根性といった、自分の頭で考えることを放棄したような態 度を戒め、「知的にタフに生きる」ことを求めたものではなかったかと思ってい ます。」

 「何か問題を抱えたときに、その問題はなぜ起きているのかについての仮説 を論理的に構築し、その仮説を客観的に検証する。そしてその仮説が正しけれ ば、それに基づいて問題を解決する。そのような作業はなかなか面倒で知的強 靭さが無いと完遂できませんので、つい「頑張って」とか、「根性で」といった 安易な方向に流れてしまうのだと思います。」

 「たとえば日本が戦争を始めたとき、客観的に、冷静に彼我の国力を分析す れば、アメリカと戦争をするという選択は無かったはずですが、当時の指導者 が、国力の差は「頑張ることで」あるいは「大和魂」で克服できるといった安 易な風潮に流されて、結果的に国民を塗炭の苦しみに導いたわけです。」

 「先生が「頑張る」或いは「根性」といった言葉を嫌われたのは、そうした 知的に安易な態度を戒められたわけで、それは生き方としては、「楽に生きる」 というよりはむしろ、社会の風潮に逆らっても「楽でない知的生活を選ぶ」と いうことではなかったかと思っています。」