『高峰秀子の流儀』の斎藤明美さん2010/06/17 06:37

 「サイトウには日常がないねぇ」というエッセイが、『暮しの手帖』46号(6 ・7月号)に載っている。 サイトウ、斎藤明美さんは、作家というけれど、初 めは誰かわからず、読んでみて、そうか、あの人だったか、と思い当たった。

 表題になっているのは、大学一年生の時、幼馴染の女友達が斎藤さんに言っ た言葉だそうだ。 斎藤さんは、若い頃、ずっと日々の生活をバカにし、おろ そかにしてきた。 日常の掃除や洗濯や食事よりも、映画や本や音楽など、も っと大事な素晴らしいことがあると思ってきた。 だが、それは大間違いだっ た。 それに気づいたのは、一人の女性に出逢ったからだ。 高峰秀子…、こ の大女優の日常をつぶさに見るようになって、斎藤さんの考えは、文字通りコ ペルニクス的転回を遂げた。

 小さな日常をいつくしむような高峰秀子の生き方に心打たれて、先般『高峰 秀子の流儀』(新潮社)という本まで出した。 人間にとって日々のささやかな 暮らしがいかに大切か、なぜ大切か、幸せとは何か。 あえて宣伝するのは、 読めば、書いた斎藤さんでなく、書かれた高峰秀子が教えてくれるからだ、と いうのだ。 この宣伝文句に感心した。

 エッセイの斎藤さんは、大学を出て高校の教師になったという。 私が高峰 秀子から思い出した斎藤明美さんは、『週刊文春』の記者だった。 高峰秀子の 信頼を得、母親を亡くしてひどく落ち込んでいた時に松山善三・高峰秀子夫妻 に救われて、玄関から二階へ上がれるのは、電気の修理屋さんと仮縫いの人だ けだという、その家庭の最深部にまで入り込むこととなった。 高峰秀子を「か あちゃん」、松山善三さんを「とうちゃん」と呼ぶ。 すべてを許した高峰秀子 が、その綿密で赤裸々な伝記の執筆までをも、彼女に許したのが、『高峰秀子の 捨てられない荷物』(文藝春秋・2001年)だった。 私はそれを読んで驚き、 2002年10月、始めてまだ一年たたない<小人閑居日記>に、5回も書いてい たのだった。