多磨霊園、福沢・慶應ゆかりの人々2010/06/30 06:46

 多磨霊園には、福沢門下生と慶應義塾ゆかりの有名人物約40名の墓所があ るのだそうだ。 今回の企画を中心になってなさった元福澤研究センター所長 の坂井達朗先生は、二度杉並から自転車で一時間半かけて下見に来て、39万坪 を探し回られたが、学生時代のようにはいかなかったと、おっしゃったのを、 家内が聞いていた。 おかげで参拝することができた内には、永田清、阿部泰 蔵、高村象平、福澤捨次郎、小泉信吉・信三・信吉、松本烝治・正夫、阿部章 蔵(水上滝太郎)、福澤桃介、神戸寅次郎、呉文聡といった方々のお墓があった。

 リストには、星野光多(太)、木下立安という知らない人の名もあった。 共 に慶應義塾出身、星野光多(みつた)はキリスト教伝道者、木下立安(りつあ ん)は出版人・歌人(蘇子(そし))で、松崎欣一先生に伺ったら日本で最初の 鉄道『時刻表』を出版して財を成した人だそうだ。 世の中にはいろいろ調べ て書いてくれている人がいるもので、この二人について詳しくは「歴史が眠る 多磨霊園」というサイトをご覧下さい。

http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kinoshita_ri.html

http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hoshino_mi.html

 リストに川村純義の名もあった。 薩摩出身の海軍中将(死後大将に昇進、 唯一の例とか)、白洲正子さんの母方の祖父、昨年の史蹟見学会で旧沼津御用邸 に行ったが、その設立は沼津に別荘を持っていた川村が皇孫(昭和天皇)の養 育係になったことと関係があると聞いた。 だが福沢・慶應との関係を知らな かった。 『福澤諭吉書簡集』を索引から見て、わかった。 第三巻の註「ひと」によ れば、元来義塾と薩摩藩とは縁が深く、西郷隆盛は福沢の文明思想を高く評価 し、薩摩藩の若者を数多く福沢の塾に送っていたから、川村も早い時期から福 沢に親近感を持っていたであろうことは想像に難くない、という。 福沢は、 義塾維持資金借用を政府要人に働きかけていた際、参議兼海軍卿だった川村に も応援助力を要請したり、義塾出身で海軍省造船課に出仕した浅岡満俊を紹介 し、後にそのヨーロッパ派遣を感謝したりする手紙を書いている。

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